20-誰もなにも知らない

2023年11月24日 夕方公開終了

マリヲ（まりを）

　エレベータの中、十月吉日、目線の高さまで弁当ガラ・新聞紙・洋服・スキンケア用品・洗剤・空ペットボトル・キーホルダー・葉書・靴が詰まった3LDKの片付けをしてる。

「こんにちは」「こんにちは」「こんにちはうるさしてすみません」「いいええ、引っ越し？」「いえごみです」「大変やねえ」「今日は特別大変ですねえ」「十五階でしょう」「そうなんですよ」「私も雇ってもらって手伝おかしら」「お願いしたいくらいです」緑色のサマージャケットを肘の上まで捲った初老の、綺麗な格好の女性は六階で降りた。

「すみません十五階までなんですが先に入っていいですか」「ん」「ありがとうございます」「ん」「すんませんすんません」「ん」「ありがとうございます」「……片付けか」「そうです」「片付け。なあ」「はい」「うちもお願いしよか」「ははは、ぜひ。僕ら明日もいますから」「男所帯やからなあ、うち。片付けがなあ。下手なんや」「そんなこと、ないでしょう」デニムシャツの男性だった。たくさんのトイレットペーパーを袋に入れて持ち帰っており、もうすぐ老人の年代だろうと思ったのは髪の毛が殆ど白髪だったからだった。エレベータの扉にビニール袋の切れ端が引っ掛かって、ちょうど電車が発車する前の軋むような音がした。

　十年は軽く経っていそうな、キャップがまだアルミで出来ているおーいお茶のペットボトルを屯袋に入れながら、なんでなんやろう、と思った。住んでいる・いた女性とまだ会ってないからだ。午前中いっぱい新聞紙やペットボトルを屯袋に入れ続けて、そこがやっともと寝室だと知った。ベッドの端が見えてきた。

　ごみの内容は全然きれい。新聞紙やクロスワードパズル。炭化したセーラムライトとかバームクーヘン。使ってない鞄や開けてない進物、ハチミツとか。同僚は「医療関係の人だったらしい」「ここでは寝ず、病院で寝泊まりしていたらしい」と言う。酒の空き瓶、空き缶はひとつもない、地層の下の方を片付けても、そこには新聞紙しかない、新聞紙の上に、新聞紙を放り投げても崩れ落ちないだろうから、新聞紙の上にはやっぱり新聞紙、積み重なっていくだけ、その一番上、天井に近い高さにやっと弁当ガラ、ペットボトル。食べ残しが残っているものは臭い。

　二日目は地層の中央部というかんじ、もと台所が見えてきた。厳重に結んだ二枚重ねのビニールの中に液体が入っているのが数十袋あり、「これは排泄物だ」と作業員は叫んだ。同僚も誰も居なかったから、返事はなかった。内容が不明なままビニールは依頼主が依頼したパッカー車の荷台のなかに収納されていった、「内容物が爆発した」と同僚が叫んでいるのが聞こえて、慌ててパッカー車まで行くと鯖缶だった。パッカー車の荷台はびしょ濡れになっていて、パッカー車の操作をしてる兄ちゃんはぶち切れているような表情をしていた。「これさっきから何入ってんの」「いや液体は液体なんですけどちょっとわかれへんのです

よ」「こんなんちょっと言うといてくれんと」「すんませんこれでも僕ら一番どないしようもないんですよ」「いやまあそらそや、君らに言うてもしょうないもんなあ、なんでも行けるて言うたもんなあ」食事以外で鯖缶の臭いを嗅ぐと異常だった、一番異常な臭いはそこでは鯖缶だった。

「一億ぐらい落ちてへんかなあ」「わたしは五百万でいいです」「金ならあるだけ欲しい」同僚たち。作業員は煙草が吸いたくなったのでマンションを離れて吸いに行った。酔った白いチョッキの、若年寄のようなのがヘルメットを着用したまま揺れて歩いていて、その煙草の煙を見るなり「大丈夫か」と言った。それに答えて作業員は「大丈夫」のあと、「です」と言った。すごく疲れており、（「足充るを知る」などうるせえ）といったような気持ちだった。なにもかもわからないような気持ちもあった。

　三日目。「大変でしょう」エレベータの中、薄いスカーフを巻き直しながら、三輪のカートを置いて紫色の髪の毛の婦人は不思議そうな口調でただ言った。「二十年前にね、あそこ全部一回出したのよ。でもまたでしょう。一度回覧板を渡すとき、新聞紙の上を、新聞紙を掻き分けながら出てきたの、見たことがある。どうしてあんなに、新聞紙が溜まるんだろう」

(了)