2025年09月04日 夕方公開終了
文=堀静香
お風呂上がりの子どもが突然、「なんであーちゃんはあーちゃんって名前なん?」と訊いてきた。わりと真剣な表情だったのでこちらも真面目に名づけの経緯を話したのだったが、「そっか。じゃあ名前変えるね。明日からはアトラスでお願いします!」と言う。
アトラスはアトラスオオカブトのことで、いま夢中なもののひとつだ。少し前はコーカサスオオカブトが一番で、その前はなんだったか。昆虫、海の生き物、好きなものがたくさんあって、そのうちの「一番」は毎日のように変わる。
つい先日コーカサスってかっこいいよねえ、最高だよねえ、と言っていたはずなのに。というか家にもカブトムシのオスメスがいるが、そこまで構うわけではない(いつの間にか飼っている生き物の世話はすべて夫が担っている)。わたしはそもそもカブトムシとクワガタの違いすら危うく、いつも言い間違えるほどの解像度で、それでも毎度「あーちゃんはアトラスがいいけど、ママの一番は?」と訊かれるので適当に「ニジイロクワガタかな」と応えている。わかるわかる、みたいなノリで「光ってかっこいいもんねえ」と子は言う。
そんなふうにいま一番好きなアトラスに改名したはずだったが、翌朝にはすっかり忘れていた(ついでにわたしも忘れていた)。
好きなものはほんとうにころころ変わる。目下の関心事はもっぱら「誕生日とクリスマスに何をもらうか」であって、日々欲しいおもちゃを更新している。大きなレゴの船が本気で欲しいと泣いたかと思えば、翌日にはブラックシンカリオンオーガにする! と言う。レゴは? レゴはいいや。やっぱシンカリオンがかっこいいからね。いま一番欲しいのはたしかキングオージャーのさそりのおもちゃだった気がするが、11月の誕生日を迎えるまでこれから何度変わるかわからない。
11月には5歳になるんだなあと思う。4歳はいいなあ、4歳だなあと毎日しみじみしているのでやっぱり寂しい。写真で見比べれば当たり前だけれど赤ちゃんの頃の面影はありつつ、けれど全然違う。この4歳の現在の姿というのは、なんというか成長を経て「こうにしかならなかった」という姿かたちなのだけれど、そのことを、つまり赤ちゃんだった当時に、いまの4歳の姿を想像することは当然ながらできなかった。
同じように子が小学生になった姿も中学生になった姿も、いまこの4歳の姿からはまったく思い浮かばない。きっとそのときになればいまのように「こうでしかなかった」かたちで子どもは存在するのだと思う。そのことがほんとうに不思議だ。
子の反抗期をいまから恐れるあまり、事あるごとに「ママのことクソババアって言わないでね」と頼んでいるので近ごろは子のほうから「あーちゃんが大きくなってもクソババアって言わないからね」と念押ししてくれる。なんか悪い気がしてくる。むしろクソババアの刷り込み教育になっていないか。というか、まだクソババアとでも呼ばれるだけましなんだろうか。無視されるほうが嫌だ。なので、どうしてもクソババアと呼びたければ呼んでもいいし、どっちかっていうと無視されるほうが辛いので無視しないでね、とも伝えている。
0、1、2、3そして4歳、すべてのその年の子どもを保存できたらいい、と夫はよく言う。たしかに、赤ちゃんだった頃はあまりに遠すぎる。ほんとうに存在したんだろうかとさえ思う。歩くようになり話すようになり、というところまでは想像可能なステップアップではあったけれど、ほんとうにはもっともっと細かい成長がたくさんある。知ったかぶったり嘘をついたり、4歳のいま、子ができることはたくさんある。
たまたま置いてあった文芸誌の表紙をを見て「日記」と読んだときには驚いた。ふりがなもない。というかひらがなもまだちゃんとは読めない。ひらがなをすっ飛ばして初めて読んだ漢字が「日記」って……!
「あーちゃんにはみんなに隠してる能力があるけど、ママにだけ教えてあげるね」
「能力?」
「ヘラクレスオオカブトの能力、アトラスオオカブトの能力、コーカサスオオカブトの能力」
「ほお」
「手をのこぎりにできる能力、ドリルにできる能力」と言って右手をのこぎりに、左手をドリルにした。うわあこわい。
ママにはそんなすごい能力ないなー、と言うと「ハート描いたりできるやん!」と励まされた。たしかにハートくらいなら描ける。
好きなものが目まぐるしく変わって、能力だってどんどん増えて、これからいったいどうなるんだろう。どうしてもできることばかりに気を引かれて、できずにいることも、変わらないことも、必ず忘れてしまうような、握ったときの手の湿り気とか、4歳の語彙声で話されるおしゃべりや声を、そういうことをほんとうは覚えていたい。
でもあーちゃんはずっとはずかしやりがだよ、大人になってもずっとはずかしやりが、と子は言う。ゴケブリはゴキブリ、トケモンはポケモン、はずかしやりがははずかしがりや、ねんどくさい、はめんどくさい。子ども特有の言い間違いだってこれからどんどん均されていくんだろう。でも、これからもずっとずっとはずかしやりがで、ねんどくさがりやでいてほしい。
哀しがったり悔しがったり四歳はちいかわのよう、はなびらのよう
堀静香(ほり・しずか)
1989年神奈川県生まれ。歌人、エッセイスト。「かばん」所属。上智大学文学部哲学科卒。中高国語科非常勤講師。著書にエッセイ集『せいいっぱいの悪口』『がっこうはじごく』(百万年書房)、『わからなくても近くにいてよ』(大和書房)。第一歌集『みじかい曲』(左右社)で第50回現代歌人集会賞を受賞。