2024年03月10日 夕方公開終了

向坂くじら(さきさか・くじら)

名札に大きく「バカ」と書いて首にかけたその子を見て、ほんの一瞬、なんと声をかけるべきか迷った。そうして、「おう、バカ」と言った。呼ばれた「バカ」はにやにや笑って、「なにい」と答えた。
国語教室を立ち上げるより、少し前のことだ。詩のワークショップだった。小さな和室の会場には何組かの親子が集まり、それぞれに名札を作ってかけている。ワークショップという場ではべつにフルネームを名乗ってもらう必要はない、けれどお互いに呼ぶ名前がすぐにわかったほうが進行しやすい、というので、名札には「呼ばれたい名前」を書かせることが多い。利便性に加え、ここは日常から離れた場所ですよ、かつお互いに友だち同士のようにフランクにふるまうことをよしとしていますよ、みたいな暗黙の指示も兼ねている。その名札だった。だからはじめはぎょっとして、しかし腹をくくった。なんでもいいと言った以上は、こちらもその責任をとらなくては。
けれどわたしが「バカは今日お母さんといっしょに来たんですか?」とか「バカは詩とか書いたことある?」とか話しかけていたら、本人もなにか思うところがあったのか新しい名札を持ってきて、今度は「ミケ」と書いた。それから、「ミケっていうのは、底辺の女のことなんですよ」と言った。
「そうなん?」
「そうですよ。いま読んでる漫画が、ギャンブルの漫画なんですけど、それで負けた人は男はポチ、女はミケって呼ばれて、人間じゃないあつかいをされるんです」
ミケは、その日参加した子どもたちの中ではひとりだけ年上だった。低学年の男の子たちがふざけあっているところから一歩離れて、タブレットをさわっていた。そしてわたしも、その日はほかの詩人がメインでやるワークショップの手伝いという立場で、場の中心からは外れたところにいた。それで、なんとなくずっとミケにかまっていた。
新聞や雑誌の切り抜きから詩を作るというのがその日のワークショップの内容だった。あらかじめ一行ずつばらばらにした切り抜きを用意してきて、その中から何枚か選んでもらい、並び替えると詩のようなものができあがる。文字が書けなくても参加できるし、ある程度ランダムな要素が加わるぶんできた作品が大切になりすぎないのが、気軽でいいところ。工作の要素が加わるのも子ども向きだ。学校に通っていない子どもたちの集まりで、男の子たちはみんなはちきれそうに元気だった。詩の時間がはじまると切り抜きが入った箱にむらがり、あれでもないこれでもないと選んでいる。けれど、ミケはその輪にも加わらない。ときどき他の子たちを見やり、「飽きちゃった」「つまんない」と言った。そしてわたしに、暇つぶしみたいにアニメの話をした。
みんなが選び終わったあと、箱がわたしたちのところへ回ってきて、ミケはやっと詩を作りはじめた。はじまってみると案外素直に、何枚か取り出した縦書きの一行を、左から右へ、順番に並べていく。逆だなと思ったけれど、まあ、詩というのは自由なものなんだし、そんなことがあってもよろしいか、と思いなおした。向こうからは歓声が聞こえ、子どもの作った作品を、講師とお母さんとが褒めているらしい。
貼りつけ終わると、ミケは余白に「ミケ」と書いた。それからタブレットを取り出して「さく」と打ち込み、「作」の漢字を大きく表示させた。わたしがなにもいわずに眺めていると、ミケはこちらを振り向いて、肩をすくめた。
「わたし、漢字書けないんです」
「いーんじゃない、調べられたし」と答えるとうなずいて、漢字を紙に書き写した。「ミケ作」。そしてまた、きまりが悪そうにこちらを向く。
「書き順とか、ぜんぜん合ってなかったと思うけど」
「いーよ、いーよ、どの字ってわかれば大丈夫だよ。わたしも国語の先生だけど、書き順ぜんぜんダメ」
「へえ、そうなんだ」
それから、ミケはぽつぽつと学校についてしゃべりだした。わたし、小四だけど、小一から学校行ってないんで。こないだ面談で学校行って、四年生のテスト、見せられたけど、まず小一からテスト受けたことないし、ぜんぜん何書いてあるかわかんなかったです。へえ、そりゃそうなるねえ。わたし、バカなんで。そうかなあ。
「このあと発表あるから、読み方わかんない漢字があったら聞いてね」と言ったら、ミケは切り抜きの中にあったすべての漢字の読み方を順番にたずねた。ひとつ聞くごとに、二回、三回、口のなかで復唱し、わからなくなるとふたたび確認して、最後にはみんな空で読めるようになった。
発表の時間が来ると、手を挙げた順番に子どもたちが詩を読み上げた。みんなが拍手をして、メインの講師がそれぞれのいいところを講評する。さっきまでふざけ半分だった子どもも褒められるとうれしいみたいで、座って発表を聞いていたお母さんのところへ小走りで戻る。それを、ミケはしばらく黙って見ていた。
「発表、どうする? いやだったらやんなくてもいいよ」
わたしがささやくと、「漢字わかんなくなるかもだから」とささやき返す。わかんなくなったらもう一回聞いたらいいよ、というと、へー、みたいな気のない返事。わたしも、まあ、やらないんならそれでもいいか、と思っていた。
だから、ミケが自分で手を挙げたときにはおどろいた。
ミケは立ち上がって、発表の場所まですたすた歩いて行った。そのままこともなげに詩を読みあげはじめたけれど、途中でぐっと言葉に詰まり、「ああ、読みかたがわかんなくなった」とつぶやいた。けれど直後、教えに行こうととっさに腰を上げたわたしをすばやく手で静止して、小さな声で「だいじょうぶ」と言った。そうして、ひとつも読み方をまちがえずに詩を読み終え、またすたすたと戻ってきて、わたしにだけ聞こえる声で言った。
「緊張したあ」
「ミケ、すごいじゃん。漢字ぜんぶあってたよ」というと涼しい顔で、「あっ、そう。まちがえたと思ってた」なんて答えた。講座はそのままにぎやかに終わり、子どもたちは輪をほどいて、また遊びはじめた。お母さんたちもメインの講師をした詩人のところヘ集まっていって、かわるがわるお礼を言う。やっぱり子どもの表現力はすごいですね。学校じゃこんなこと、教えてもらえないですもんね。わたしも、そうですねえ、と思って聞いていた。そばにはミケ親子だけが残り、ミケは何事もなかったようにまたタブレットをさわりだしていた。
「そういえば、詩、逆に貼ってるのもおもしろかったね。なんでだったの?」
ふとたずねると、ミケはなにを聞かれているのか、よくわからないみたいだった。代わりに答えたのはお母さんだった。どこか忍びなさそうな調子で、
「あ。この子、本も教科書も読んだことなくて。YouTubeのコメント欄で日本語覚えてるので。縦書きの文章を読んだことがないんだと思います」
思わずミケを見ると、もう自分は関係ないような顔をして、タブレットを見つめている。たしかに日本語の文章は、縦書きだと右から左へ、横書きだと左から右へと進む。当たり前だと思っていたけれど、たしかに、そうか、難しいかもしれない。自分はなんて愚かなんだと思った。なんて愚かなこと聞いてしまったんだろう。すてきな授業をしてくれたゲスト講師の一員として華々しく送り出され、ミケとも手を振って別れた。実際、その日はいいワークショップだったと思う。子どもたちはめいめい思うままに楽しんでくれているように見えたし、なによりメイン講師の持つ明るいエネルギーが場全体に伝播して、子どもたちもお母さんたちも、詩を書いて発表したということをうれしく思ってくれたみたいだった。それなのに、ひとりになって帰りの電車に座った瞬間、涙が出てしょうがなかった。
くだらない、なにが、自由。生きている不自由の前に立たされたら途端になんの意味もなさなくなる、飾りものの、ばかげた自由。

学校が嫌いだった。集団を維持することにしか関心がないように見える教師たちも、第一に従順さを求めているとしか思えない教室や試験のシステムも、それに抗うでも、かといって信じるでもなく、ほどほどで追随するだけの生徒たちも、みんなうっとうしかった。当然のように友だちもいなかったから、よくそのことで不便を強いられ、それもまた無性に気に入らない。はじめにはそのやっかみもあったかもしれない。ともかく、すべてが多数派のために行われていて、わたしはそこを逸れている、と思っていた。
音楽室の座席は、中心の教壇へ向かってすり鉢状に下がる、円形劇場のような形だった。音楽の授業で忘れものをした者は、罰としてその教壇の前に立ち、一曲歌わなければいけないというルールがあった。けれど実際のところ、罰は成立していなかった。晒しものにされたひとりが歌い出すと、囲んでいるクラスメイトもそれを庇うように斉唱しはじめるのだ。少女たちは示しあわせて、そんなふうに辱めを骨抜きにしてしまうのだった。けれど、とはいえ音楽の授業としてはみんなが歌ったほうがいい、ということなのか、音楽の教師はそれを黙認していた。
わたしは、ひそかに戦々恐々としていた。もともと忘れものは多いほうだ。それなのに友だちまでいないというので、消しゴムを忘れては貸してもらえず、教科書を忘れては見せてもらえず、さんざんに苦労していた。これでリコーダーでも忘れようものなら、と思うとぞっとした。たったひとりで教壇の前に立たされ、ぐるりと見下ろされて、わたしが歌い出しても、きっとだれもあとには続かない。わたしのところではじめて罰が、きわめて効果的に成立する。みんな自分たちのしている意地悪をちゃんと承知していて、くすくす笑いをこらえて目配せしあう、教師もまたなにが起きたのかを心のうちでは悟っていながら、自分が想定以上にひどいことをしてしまったのをごまかすために、そそくさと授業にうつる––––最悪だ。そもそもどうしてこんな不公平がまかり通るのか、と思うと、なおさらに腹が立つ。そういう暮らしづらさが、気むずかしくて「空気の読めない」子どもの日々にはあふれていた。
詩のワークショップをするようになったのは、そういう記憶が残っていたからかもしれない。不登校の子どもたちの集まりに呼んでもらえたことも、だからうれしかった。呼ばれたい名前を書いてください、作品を比べる場所ではありません、ルールはないので、自由に書いてください。そんなことを言ったり、参加者の書いた詩を褒めたりするたびに、自分でもうっとりした。どんな表現もすばらしい、と、わたしも確かに思った。褒められることよりむしろ、褒めることのほうが気持ちいい。
表現のワークショップというものには学校ぎらいのための新しい類型のような面があって、詰め込み型の教育や一方的な評価、それによって教師が持つ権威性、そういう既存の教育の形式への批評を含んでいることが多い。わたしもまたそういう学校ぎらいのひとりであり、自分が教育をすること、そして自分の嫌いだった教育のすがたをこれ見よがしに避けていくことを、抵抗の手段のように思っていたのだった。かつての自分のような学校ぎらいの子どもには、胸のすくような、新しい居場所が必要だと思ってやまなかった。
けれどミケと出会った帰り道、電車のなかで泣いていながら、もはやそんなふうに構えてはいられなくなっていた。学校におかしな面がいっぱいあることには間違いないと今でも思うにしても、しかしこれが、切り抜きを使って詩を作ることが、はたしてミケに必要なことだろうか。それよりもむしろ漢字の読み方のほうが、ミケには必要だったんじゃないんだろうか。「作」という字を書きながら、恥ずかしそうに手元を隠したミケには。自分のしてきたことが、みんなまちがいだったように思えた。
あまり考えずに気軽にできるやり方で詩を作らせ、それを褒め、「学校ではこんなこと教えてもらえない」なんて言わせてしまうこと。それは暗に、勉強なんてしなくてもいい、ひいては成長なんてしなくてもいい、というメッセージを発してしまうのではないか。それも、わたしがその自由さをもって愛しているはずの詩を、錦の御旗に掲げて。
そして、あのときのわたしに必要だったのは、果たしてそんなものだったか。対等らしい関係や、だれもに等しく与えられる明るい褒め言葉、そんなもので、しじゅう腹を立てていたあの女が、本当に満足しただろうか。
在来線はよく揺れて、足元がぐらつく。イヤホンからは眉村ちあきさんの声が流れていた。眉村さんは自分で作詞作曲までするソロのアイドルで、すばらしい演者であるのは言うまでもなく、人間の個体としての魅力さえひと足に飛び越え、活火山や流星群を見ているような気持ちにさせてくれる。そのときたまたま流していたのが、眉村さんがテレビの特集かなにかで尾崎豊をカバーしている動画だった。曲は「僕が僕であるために」。じつは、これまでここの歌詞がいやで、あんまり好きになれなかった曲だった。

こんなに君を好きだけど
明日さえ教えてやれないから

自分のことを好きな男にこんなふうに言われたら、わたしなら怒り狂うだろう。から、なんだよ、と問いつめるだろう。から、なんだよ。おまえ、おまえがわたしのこと、明日なんてこと懇切丁寧教えてやらないといかん女だと思ってたんなら、こっちから願い下げ。出てけ、出てけ、ばかにすんのもいいかげんにしろ。まして、自分のほうでもその男のことが好きだったなら、なおさら。
けれど眉村さんの声が火柱みたいにまっすぐ伸びるから、そのときうっかり、心をひらいてしまった。

君が君であるために 勝ち続けなきゃならない
正しいものは何なのか それがこの胸に解るまで

アルトリコーダーを忘れたと気がついたのは、音楽室に向かう途中の廊下のことだった。ついにやった。やってしまった。テストの練習のために前回持って帰った、そのテストがまさに今日なのに、家に置いてきてしまったのだ。内心青ざめ、体調かなにか理由にして、いますぐ引き返そうか迷った。けれども人の流れに圧されて足は止まらず、そのままなんとなく席についてしまった。その段階でもう気が気じゃない。罰の時間は授業のはじめに行われることになっていた。自己申告制だったけれど、どうせあとでリコーダーを使うのは分かっていたから、申告しないわけにもいかない。忘れ物をしたのはわたしともうひとり、クラスでかなり目立っている女の子だった。その子が先に教壇の前に立った。歌いだしたのはわたしのあまり知らないアイドルの曲で、あっという間に音楽室のあちこちから援護が加わり、大合唱になった。そのあいだ、わたしは口をつぐんでうつむいていた。
歌はあっという間に終わり、押し出されるように教壇の前に立つと、半円形の座席が高く積み上がり、わたしを取り囲んでいる。深い穴の底にいる気分だった。クラスメイトはすでにおしゃべりをはじめている。からかいや奇異の目をおそれていたけれど、実際に訪れたのは色濃い無関心だった。友だちが歌うゆかいな時間は終わってあとは消化試合、あーあ、早く終わってくれないかな、というような。そのときにはもう、わたしの肚は決まっていた。
歌いだした瞬間、よそ見をしていた何人かがこちらを向いた。目線はひとり、ふたりと増え、わたしにはもうおしゃべりの声も聞こえなくなっていた。歌ったのは、沖縄で生まれた母が子どものころに一曲だけ教えてくれた琉球語の歌だった。だれも知らない、歌えない歌なら、「歌ってもらえない」不自然をなあなあにからめとってしまえる、というのが、わたしの作戦だった。
歌が終わると教師が拍手をして、だれかが小さな声で「おおー」だか「ええー」だか言った。リコーダーのテストは当然受けられず、後日受け直すことになった。歌い終わったあとの浅い息でわたしは、この上なく満足していた。ばかにされずにすんだ、という結果そのもの以上に、自分が音楽室の底にひとりで立ち、最初から最後までひとりで歌い切った、ということに。
あのときのわたし。だれかに褒めてもらうなんてどうでもよかった。居場所も、友だちも、本当はいらなかった。欲しかったのは力だけで、ただ、ひとりで立ちつづけられる自分が欲しかった。だから、「成長なんてしなくてもいい」と言ってしまうことがおそろしいのだ。居場所さえあれば、表現さえあれば、それでいいと言ってしまうことが。それはミケにとって、そしていつかのわたしや、ほかのうんざりした子どもたちにとって、侮りにほかならないのではないか。本当はずっと、こんなふうに言いたかった。満足するな。だけど、期待をかけろ。今よりもっといい方へ、つぎへ、つぎへと進め。そうして、誰も知らない言葉で歌え。歌が終われば、だまって舞台から去ってやれ。なによりずっと、本当は、そんなふうに言ってほしかった。

僕が僕であるために 勝ち続けなきゃならない
正しいものは何なのか それがこの胸に解るまで

厳しい歌詞だと思う。とくに、勝ち「続け」なきゃならない、というところが。だけど、本当にそうだ。学校でもだめ、かといって抵抗だったはずのワークショップでもだめ、勝ち続けなきゃならないのだ。ミケにはもう二度と会えないであろうことが、くやしくてたまらなかった。新しい漢字を教え、今度は「作」の書き順だって教えて、ミケはバカではないと教えてやれないことが。自分の仕事が結局なんの抵抗にもなっていないこと、ミケの力を奪われたままにしてしまっていることが。
眉村さんの歌が大泣きに拍車をかけ、ほかの乗客に不審な目で見られながら駅のホームに降りて、わたしは国語教室を作ることに決めた。作るなら、一回きりでない会い方がいい。勉強も表現もない交ぜに教え、今いるところに留まらせず、つぎへ、つぎへと進めるような教室がいい。その日の晩、夢を見た。いつまでも歩く夢だった。心象のような風景ではなく、どこかで見たことがあるような住宅街、郊外の国道や、団地沿いのバス通りを歩いていた。目的地があるとわかっているのに、わざと遠回りをしていた。道を調べずにいること、足が疲れてくること、もうずいぶん長い距離を歩いているとわかっていることが、自分でうれしかった。

あちこちで、奪われた力が渦巻いている。見えなくなっているだけで、消えてなくなったわけじゃない。わたしたちが本当に自由になるために必要なのは、その力なんじゃないだろうか、と思うことがある。すでにあるものたちをはるばると呑みこんで、それでいてたったひとりでちぎってしまえるような新しい力が、その中に眠っているんじゃないか。まだはじまっていない努力を息をひそめて待っている、わたしたちの力。ときどき夢をみる。それが底から次々に前進をはじめたら、きっと円く見下ろしていた観客にも泡を吹かす。抵抗。
わたしたちの抵抗。

 

(了:本連載は今回で終了です。ご愛読どうもありがとうございました。本作品は、書き下ろし+加筆・修正を加えた上で、書籍化の予定です。続報、楽しみにお待ちください)

向坂くじら(さきさか・くじら)

詩人、国語教室ことぱ舎代表。Gt.クマガイユウヤとのユニット「Anti-Trench」で朗読を担当。著書『夫婦間における愛の適温』(百万年書房)、詩集『とても小さな理解のための』(しろねこ社)。一九九四年生まれ、埼玉県在住。