2024年03月03日 夕方公開終了

向坂くじら(さきさか・くじら)

失礼セレクションというのがある。本当はない。わたしが作った。
ルールはかんたんで、失礼だと思った発言を、心のなかで金賞に認定するのだ。とくに公表するわけでもなく、友だちに話すことさえない、もちろん本人にも伝えない、わたしの中だけで完結している。急に失礼なことを言われると、びっくりして頭がまっさらになってしまう。その場で気持ちよく言いかえせた試しはなく、そのくせ家に帰っても執念深く覚えている。そういうときに、お菓子の箱に貼ってあるような金色のシールをうやうやしく授与する想像をして、溜飲を下げているのだ。暗い趣味である。
初代受賞者、というか失礼セレクションの発端は二〇二一年のこと、カレー屋さんで後ろの席に座っていた知らない男性で、急にわたしの肩を叩いてひとこと言ったことには、「あのさ、申し訳ないけど、ちょっともうしゃべるのやめてもらっていい?」。堂々の金賞。念のため申し開きをしておくと、わたしとそのとき一緒にいた夫とはそんなに大声でしゃべっていたわけでもなく、なにかの悪口を言っていたわけでもない、しゃべる量にしたって食べる手を止めずにすむぐらいでしかない。店内にはほかにしゃべっているお客さんもいたし、店員さんは水を注ぐときにわたしの服を褒めてくれたくらい愛想がよかった。それでも隣にいたらうるさくて気に障った、ということもあるかもしれないけれど、それにしたって罰が重すぎる。人から「もうしゃべるのやめて」と言われることなんかそうそうない。
しかしくやしいことに、わたしと夫は完全にびびってしまい、それきり言いなりに黙ってしまった。思い出しても憎たらしい。「申し訳ないけど」という気づかい風の語り出しも、それでいてしっかりタメ口なのも、「もう」という広範囲攻撃的な副詞も、くまなく失礼でいっそ感心する。ということでその感心から、失礼セレクションがはじまった。
そして二〇二二年の金賞は、当時勤めていた会社の人のひと言に授与した。これだ。
「発達障害でも比喩ってわかるの?」
これは前年よりも繊細な味わいがあってよい。腹が立つというより、しみじみとその失礼さを噛みしめたくなる。わたしが詩人で、かつ発達障害者であることを、存分に失礼に活かしている。まったく知らない人から受ける失礼より真に迫るものがあり、さらにわたしは年下なぶん言いかえしづらく、立場の利を活かした受賞と言っていい。言われたときも笑ってしまった。疑問文だったのでいちおう、「新しい比喩を作るというのは、共有できるかわからないような個別の現実を書こうとすることで、どちらかというとむしろ自閉的だと思いますよ」と返したけれど、あまりよく伝わっていないみたいだった。

「人としゃべれなくなったから」というのが、アオさんが教室にやってきた理由だった。はじめの面談に来たとき、アオさんは確かにあまりたくさんはしゃべらなかったし、ずっとかすかに身をちぢめていた。アオさんが話せなくなった理由を詳しく書くことはしないけれど、ともかく結果としていまは学校をお休みしていて、もうすぐ新しい学校へ編入することが決まっているという。そして引越しまでの数ヶ月で、少しでも自分の心のなかを表現できる言葉を取りもどしてもらえないか、というのが、お母さんからのメールに書かれていた要望だった。
それからずっと、自分がアオさんにできることはなんだろうと考えている。文章を書くよう勧めたり、それがより書きたい形に近づくよう手助けしたりすることはできる、助詞の使い分けや言葉の意味を教えることもあるだろう、そもそもどうやって勉強を進めるのか、さらにそもそもで言うならばなぜわたしたちは勉強するのか、なんて話をすることもあるし、それよりももっと他愛ない、ただのおしゃべり相手になることもあるだろう。けれど、自分がアオさんにできることはなんだろう、と思う。そしてその疑問文も、 まだ正確ではない。正しくは、こう思う。
言葉が、アオさんにできることはなんだろう。
実際、国語教室を開いていると話すと、ときどき褒められる。いいですね、人とのコミュニケーションだって言葉ですもんね。国語の力は大事ですよね、対話をするためには必要ですもんね。結局、いまビジネスで求められるのは、言葉のスキルですもんね。そのたび、わたしは半分はうなずきつつ、半分は口ごもる。わたしたちが他者と同じ世界を生きなければならないということ、そして言葉がそのためのツールとしての面を備えているということに異論はない。その通りだと思う。けれど同時に、そのことにうなずいている自分というものが、どうも覚束ない。
なんといっても当のわたし、失礼セレクションなんて言っているくらいだから、口が裂けてもコミュニケーションに秀でているとは言えない。これで言葉を学ぶことがコミュニケーションに役に立つなんて言いはじめてしまったら、ちょっといんちきすぎる。自分の仕事の有用性の、自分が歩く反証である。困った。「しゃべるのも言葉の力のうち」というのも事実ではあるのだから、集客のためにはうまいこと言っておけばいいのだけど、なにより自分がうそをつくのに堪えられない。そのことがわたしのしゃべり下手の根幹にあると言っていい。だから面談では、かろうじてこう言った。
「わたしは、うまく言葉が出てこないこと自体は、そんなに悪いことだと思っていません。むしろ、すぐには言葉にできないくらいの色んなことを考えたり、感じたりしている証拠だと思っています。けれども同時に、言葉にして誰かにわかってもらいたいとか、言葉にならないのが自分でしんどいという気持ちもあると思うので、どうやったらそこをうまくやれるのか、いっしょに模索していけたらいいな、と思います」
自分でも頼りない答えだと思うけれど、わたしの言うことをアオさんはだまって聞いていて、それから隣に座るお母さんのほうを見た。それで、かは分からないけれど、とにかくその面談で、アオさんは教室に通ってくれることになった。

それで、あらためて二〇二二年の金賞のことを考えたくなった。たしかに、その人の疑問も分かるかもしれない。コミュニケーションの機微のわからない者に、比喩という遠まわしともとれる表現がわかるのだろうか、と言いたいのだ。
確かにわたしは、「トイレを掃除してね」と言われたらトイレだけを掃除して、トイレの前の廊下がどれだけ汚くても気にならないし、「気つかわないでゆっくりしてて」と言われたらそうですかあと座ってしまう。ちなみに、上記二例をここにこうして書けているのは、きちんと考えればわかるから、ではなく、実際に注意をされたからである。そんなもんかと思っていながら、どこかでまだ釈然としていない。ある言葉の意味をそこまで恣意的に引き延ばすのはズルじゃないかと思っている。
そういうと、いやいや、比喩も似たようなことをするじゃないか、と言われるかもしれない。たとえばこんな比喩がある。

わたしはわたしの憧れの在処を知っている。憧れはちょうど川のようなものだ。川のどの部分が川なのではない。なぜなら川はながれるから。きのう川であったものはきょう川ではない、だが川は永遠に在る。ひとはそれを指呼することができる。それについて語ることはできない。わたしの憧れもちょうどこのようなものだ、そして祖先たちのそれも。珍らしいことにわたしは武家と公家との祖先をもっている。そのどちらのふるさとへ赴くときも、わたしたちの列車にそうて、美くしい河がみえかくれする。わたしたちの旅をこの上もなく雅びに、守りつづけてくれるように。ああ、あの川。わたしにはそれが解る。祖先たちからわたしにつづいたこのひとつの黙契。その憧れはあるところでひそみ或るところで隠れている、だが死んでいるのではない、古い籬の薔薇が、きょう尚生きているように。祖母と母において、川は地下をながれた。父において、それはせせらぎになった。わたしにおいて、––––ああそれが滔々とした大川にならないでなにになろう、綾織るもののように、神の祝唄のように。(三島由紀夫『花ざかりの森』)

『花ざかりの森』は三島十六歳のときのデビュー作だが、この一節はそうとは思えない超絶技巧ぶりだと思う。言葉の意味がぐんぐん引き延ばされている。憧れをはっきり川に喩え、筋道だてて説明したかと思えば、次には川が祖先とのつながりを表現する言葉になり、そのうちにいつの間にか語られる主軸も「憧れ」から「川」のほうへ移っている。それでいて、「滔々とした大川にならないでなにになろう」という感嘆はもちろん、具体的な川のことだけを語っているわけではない。ふたつの、もしかするとそれ以上のものを、みんな川へ結びつけながらも、自然に、ときにうっとりと読ませてしまう。さらには列車であったり薔薇であったり、ほかの比喩までちらほら姿を見せていて、サービスがいい。これと、「気つかわないでゆっくりしてて」と、どちらが言葉の意味を剛腕でもって引き延ばしているかと言われたら、たしかに迷うかもしれない。
詩になると、さらにわかりづらくなる。

水草の手
大手拓次

わたしのあしのうらをかいておくれ、
おしろい花のなかをくぐつてゆく花蜂のやうに、
わたしのあしのうらをそつとかいておくれ。
きんいろのこなをちらし、
ぶんぶんとはねをならす蜂のやうに、
おまへのまつしろいいたづらな手で
わたしのあしのうらをかいておくれ、
水草のやうにつめたくしなやかなおまへの手で、
思ひでにはにかむわたしのあしのうらを
しづかにしづかにかいておくれ。

比喩のオンパレードのような詩だ。ひとつひとつの喩えが豪奢で、「あしのうらをかく」という行為とは不釣り合いに思えるのがいい。さらにいえばその不釣り合いさによって、「あしのうらを」「かく」ということ自体、なにかほかのことを喩えているように思えてくる。これがコミュニケーションでおこなわれたら、怖い。「わたしのあしのうらをかいておくれ」と言われたら、わたしはたいした疑いも持たずそのままに受けとり、へえ、と言ってかくだろう。それを、「発達障害だから、比喩がわかっていない」といわれたら、まあ、そうなのかもしれない。
しかしわたしは、本当にわかっていないんだろうか。「わたしのあしのうらをかいておくれ」の一行が、実際この詩のなかではそれだけのことしか語っていないことを思うと、では「気つかわないでゆっくりしてて」にはどうしてそれ以上のことが語れるんだろうか、と思ってしまう。あえて強気で言わせてもらおう。わたしは、「比喩がわかるのに、言われたことがわからない」のではない。かといって、「比喩も、言われたこともわからない」というのでもない。「比喩がわかる程度には、言われたこともわかって」いる。それなのになお、失敗するのだ。
コミュニケーションに失敗して反省するとき、わたしはふつうこんなふうに思う。ああ、「気つかわないでゆっくりしてて」という発語は、そのまんま「ゆっくりしてて」という意味ではなく、「(ふつうの人なら気をつかうほどに)こちらは大変なのだから、手伝って」という意味だったんだな。読みそこなった。
けれど、それでもまだ足りなかったのかもしれない。実際のところ会話がおこなっているのは、その会話を超えた長期的な関係を持つことの提案、つまり、「わたしと友好な関係を築くのに最善の選択をしなさい」というような指示なのではないか。
そう思うと、やっぱり比喩やその他のレトリックとは違う。わざわざ言うほどでもないこととして、書かれたものはわたしに決まったリアクションを要求しない。ある読み方や見方、ときには暮らし方を要求することはあるかもしれないけれど、それは読み手がそれぞれ世界にたいして行うことであって、書かれたものにたいして行うことではない。だからより正確に言えば、書かれたものはわたしに関係を要求しない。「気つかわないでゆっくりしてて」が、なにより発話したその人との関係を要求するのとは対照的に。

アオさんにはとりあえず、来るたびにまず日記を書いてもらっている。アオさんの日記はおもしろい。日記だというのに話題が急に先週のことに飛んだり、口内炎の細かな観察、数や場所や大きさとその経過、が突然ずらーっと続いたりする。ほとんど添削はしない。代わりに、書き方ではなく、書かれた内容についておしゃべりをする。それから文法の問題をやって、余った時間は本を読んでもらって、本についても少しおしゃべりする。それでおしまい。国語の先生というには他愛ないことばかりしすぎじゃないか、と、自分でも少し思っている。面談のときとは違って、アオさんはよくしゃべるようになった。しゃべりながら、おもむろにカバンから大袋に入ったかにぱんを取り出して、ぜんぶ平らげてしまう。かにの足の部分をむしって食べようとして、体の部分まで少し欠けたのを、ああかわいそう、かわいそうと言って食べる。わたしはアオさんのことを、自分に似ていると思うことがある。それでいて、あまりに自分と違うのに、驚くことがある。アオさんになにか言うときには、発話するこのわたしとの関係をできるだけ要求せずにいたいと思う。おそらく完全にはむずかしく、そしてこれからアオさんに言葉の外で要求される、たくさんのむずかしい関係、悲しい関係、痛い関係について考える。言葉ができることはなんだろう。

卒業生のワカさんが遊びにきた。アオさんのように新しく生徒が来てくれるのもうれしければ、卒業生がふたたび来てくれるのもうれしい。ワカさんは教室でときどき詩を書いていて、中学に上がってバンドをはじめ、最近は歌詞を書いているという。
「あっ、てかさあ。前ここで書いた詩、学校で国語の先生に見せた」
「あら、いいじゃん、見せられる先生がいて」
「うーんまあ、別にそれはいいんだけど、なんか直された。どう思う?」
その詩というのが、ワカさんもわたしも、かなり気に入っている一篇だった。

のんびりな日

今日は神様がいいよといったから
ねぼうした
ヨーグルトをたべて
団地に出かけた

十時からなのに十時半についた
団地の日中だから
おばあちゃんがいっぱいいた

おそくついたから
みんなはあそんでた。
そのうち私もみんなとあそんだ

私たちが走ると
「まったくあぶねぃんだからよぉ」
とおこるおばあちゃんがいた
むかついて
録音しようとしたけど
できなかった

ブランコでたくさんあそんだ
そしたら
おちた

指が
くさりにはさまって
左手の小指と
薬指から
ちがでた

中指がはれてうごかなくて
おったかもと思ったから
「様子みよ」って
いわれるのを
かくごして
おかあさんに
いってみた

やっぱり
「様子みよ」
だった

いい詩だと思う。素朴に始まったと見せかけ、少しずつ日々の生々しいあやうさに満ちてきて、読むほうを安心させない。おばあちゃんやおかあさんの存在感もいい。ところが学校の先生には、おばあちゃんに怒られ、それを録音しようとする、というところの是非が気にかかったらしい。「ここが気になって、怒る人もいるかもしれないから」というような言い方で、その箇所を削除するように勧められたという。
「ええ。君的にはどうなの?」
「うーん。なんで?  って思う」
「うーん。わたしもそうかな」
なるべく穏やかに返したものの、じつは内心、「そうかな」どころではなかった。許せん、と思っていた。このおばあちゃんとのやりあいは、たしかにこの詩を複雑にしている。ここで「むかついて/録音しようとした」ことが、詩の主人公、この詩の場合はワカさんを、単なる被害者でいさせない。しかも、結局それに失敗する。この妙にシビアな現実との距離感が、この詩の魅力である。
そしてそれ以上に、詩の表すことよりも他人のほうを、それも「いるかもしれない」程度の不特定な他人との関係を優先しようとする、その読み方がつまらない。SNSに上げるのと、ひとりで詩を書いているのとは違う。書くことが他人を不快にさせないためであるのなら、なにも書かずにいることしかできない。それなのに、ワカさんがひりひりした現実の一線へ踏み入ったのを引き戻すようにして、無難な、わかりやすい像に書きかえさせようとするなんて。ワカさんの書いたものや視点に対して、なによりもそうだ、失礼!
こうして二〇二三年の金賞は、会ったこともない中学校の先生に贈られた。おめでとうございます。失礼セレクションのいいところは、まずわたしのほうがかなり失礼なところである。言いわすれていたけれど、というかもうお分かりのことだと思うけれど、わたしが他人に対して失礼な態度をとらずにいられるわけではない。なさすぎる。「今日、何十年か追ってきた夢をあきらめたんです」と打ち明けられて「わ、ちょうど分岐点の人ってめずらしいですね! ナショナルジオグラフィック見てるみたいでうれしいです!」と返したこともあるし、「僕は人に活発で明るいと思われているけれど、本当はいろいろ考えてるんだよ。君にはバレてると思うけど」と言われて、「よく言われますー」と返したこともある。最悪だ。後者に関しては返答にさえなっていない。
だから書いたり読んだりすることの、なにより、人間関係でないところが好きだ。読んだ内容に対して自分の考えが出てきたり、ときに書いた人を親しくも、また疎ましくも思えたりするところは、コミュニケーション的であると言っていいかもしれない。けれど同時に、それは関係ではない。わたしたちがお互いになにも要求しないかたちでいられるのはそこだけで、そしてそこでだけわたしたちがやりとりできることがある、と思っていて、だから言葉のことが好きだ。ワカさんが自分のするどい部分を見事に書いてみせたように、自分や誰かの簡単にはいかない部分、うまく説明できない部分が、書かれた言葉のなかではきらっと輝く。金賞! そしてそのためにわたしは書き、そして書いてほしいと思っているのだ。あいまいな「だれか」との関係をできるだけ長く良好に保つために、ではなく、だれとも共有できないような現実に、ひと足ひと足近寄っていくために。
そうして、意味を引き延ばすように書かれたわかりづらいものがときに、しかし胸を撲つほどこちらへ伝わることがある。矛盾しているみたいに思えるかもしれないけれど、そういうときにわたしは、この失礼なわたしは、失礼な人間のなかで暮らすことを、まだあきらめないでいてみたいと思うのだ。

待つ
石原吉郎

憎むとは 待つことだ
きりきりと音のするまで
待ちつくすことだ
いちにちの霧と
いちにちの雨ののち
おれはわらい出す
たおれる壁のように
億千のなかの
ひとつの車輪をひき据えて
おれはわらい出す
たおれる馬のように
ひとつの生涯のように
ひとりの証人を待ちつくして
憎むとは
ついに怒りに至らぬことだ

日記を書きはじめると、アオさんはなにもしゃべらず、いっぺんに最後まで書く。わたしはそれを横目で盗み見ていて、終わったらなにを話そうか考える。うまくしゃべれないから、だけではなく、単に人間のなかにいるから、というだけでも、アオさんも、ワカさんも、わたしも、これから何度も痛い思いをするだろう。そして言葉を身につけることは、ときにそれを防げないだろう。アオさん、けれどもわたしはときどき、本当にときどきね、書くことが他人をいい気持ちにさせるためではないのと同じに、生きていくことは、痛みを減らすためではないのかもしれないと思うよ。けれど、ではなんのため、と尋ねられたら、なんと答えることができるだろう。そのことを考えながら、アオさんが書き終わるのをじっと待っている。入り口には、「国語教室 ことぱ舎」と書かれた看板がかかっている。わたしがかけた。

 

(了)

向坂くじら(さきさか・くじら)

詩人、国語教室ことぱ舎代表。Gt.クマガイユウヤとのユニット「Anti-Trench」で朗読を担当。著書『夫婦間における愛の適温』(百万年書房)、詩集『とても小さな理解のための』(しろねこ社)。一九九四年生まれ、埼玉県在住。