2019年09月07日 夕方公開終了
文=星野文月
約束していたとおりクリスマスにユウキさんの家に行く。
行く前に、二子玉のフードショーに寄りお母さんに紅茶を買い、ユウキさんへのプレゼントにニットの帽子を選んだ。
ユウキさんの家に着くと、いつものようにお母さんが迎えてくれて、ユウキさんはソファに座っていた。
部屋は暖房が効いていて、とても暖かい。お母さんに紅茶を渡すと、すぐに三人ぶん淹れてくれた。ソファに座って、ユウキさんに最近何をしていたか尋ねた。
久しぶりに話してみると、全然会話が噛み合わなくて静かに驚く。
もしかしたら以前もこれくらい噛み合っていなかったのかもしれない、とふと思った。
私の希望的な想いが、現実を正確に捉えることを邪魔していたのではないだろか。
テレビからは、マライア・キャリーの『恋人たちのクリスマス』が流れているのが聞こえてくる。
今日もお母さんの手料理をご馳走になった。それを食べながら、もうすぐ今年が終わってしまうことについて話した。すると、お母さんが「人生って何が起きるかわからないからドラマチックよねえ」と言った。その声は、うっとりしているようにも聞こえた。
私は箸を止めて、思わずお母さんの方を見た。その表情は山のように優しく微笑んでいた。ユウキさんは気にすることなく、左手で食べ物と格闘している。
ひとりで家事をこなし、毎日ユウキさんのリハビリに付き合うお母さん。ふたりきりの生活は、傍から見ていてもかなり大変そうに思えた。それを、事もなげに「ドラマチック」と言い表してしまったことに衝撃を隠せなかった。私はこの先どんな人生を送ったとしても、こんな言葉を言える気がしない。
ユウキさんにプレゼントを渡すと、私にもプレゼントを用意してくれていた。クリスマスのポストカードと、紙細工で作られたロボット。ポストカードを開けてみると手紙が書かれていた。
文字は綺麗とは言い難かったが、思いが込められているのが痛いほど伝わってきた。手紙の内容も切実で胸を打たれる。ユウキさんのリハビリが上手くいき、快方に向かって欲しいと心から思った。
でも、私には恋人としてユウキさんと一緒にいる未来を想像することが、どうしてもできなかった。
帰り際の玄関で、ユウキさんとお母さんの顔をそれぞれ見る。
たぶん、もうここに来ることはないのだろう、と思った。
玄関を出て駅の方へ向かう。ユウキさんが、家の前からずっと手を振って見送ってくれた。
ひとりになった途端に涙が出そうになったが、私が泣くことなんて誰からも許されていないような気がした。大きく息を吸い込み、唇を強く噛んだ。
夜はトビーさんの家に行く約束があった。一度シェアハウスに帰り、それから自転車でトビーさんの家に向かう。
あれ以来、トビーさんとは疎遠になってしまうかと思っていたが、トビーさんの態度はまったく変わらなかった。むしろ変わらなすぎて、告白されたことも、私がユウキさんのことを打ち明けたことも嘘だったのではないかと思ったほどだった。
数日前、トビーさんに夕方までの予定を聞かれ「ユウキさんのお見舞いに行く」と正直に言った。トビーさんは「そうなんや」と言っただけで、それに関してもう何も言わなかった。家のインターホンを押すと、「おー、いらっしゃい」と言いながらドアを開けてくれる。こたつが置いてある部屋には、クリスマスを意識したと思わしき電飾が飾ってあった。
「ハンズで一〇〇〇円やったから買った」
そう言ってスイッチを押すと、緑色の電飾が一定のリズムでチカチカと光る。この和室とあまりにも不似合いな様子に笑ってしまった。録画してあった「タモリ倶楽部」を観ながらチキンを食べ、いつもと同じくだらない話をした。
トビーさんとは、あれからちゃんと話をしてなかった。
録画していた番組が終わり、少しの間が空いた。
「あの、彼のお見舞い行ってきたことって気になりますか?」
トビーさんの意識が一気に自分に集中するのを感じた。
「うん、やっぱりお見舞い行くんやな、って思いました」
トビーさんがゆっくりと言った。
「自分がどうするのが正しいのかわからないんです。彼との未来が見えないけど、後遺症で苦しむ彼のことを傷つけてしまうことが怖い。だからずっと悩んだまま、ずっと答えが出せないでいます」
自信のない私の声がする。その言葉に嘘はなかったが、なぜか言い訳をしているように聞こえた。
トビーさんは、自分のことは気にしなくて良いから、と言ってくれた。
彼の態度が一切変わらなかったのも、すべて私に気遣ってくれていたからだと、今さら理解した。私はそうとも知らずに、ユウキさんのお見舞いに行き、その後にのうのうとトビーさんの家に顔を出している。自分の軽薄な態度はどれだけの人を振り回してきただろう。
気がついたらすっかり遅い時間になり、帰るのが億劫になってきた。窓の外は風がびゅうびゅうと音を立てている。トビーさんは外に出たがらない私を見かねて「自分はこたつで寝る」と布団を敷いてくれた。
あっという間に客用の毛布が運ばれ、未使用の歯ブラシが手渡される。せっせと動く小さな背中は、悪いことなんてできなさそうで切なくなった。
トビーさんは電気を消して、もぞもぞとこたつに入った。しばらくすると目が暗闇に慣れてくる。冬の月はこんなに明るかったっけ、と思った。私はなかなか寝付けずに、天井の模様を見ていた。隣の方からも、起きている気配がした。
私は何かを伝えたいような気がしたけど、何の言葉も思い浮かばなかった。枕に敷かれたタオルから、嗅いだことのある柔軟剤の匂いがする。暗闇に漂う行き場のない感情を見つめながら、眠気がやってくるのをじっと待った。
(本連載の続きは、年内刊行予定の書籍をお待ちください。これまでご愛読どうもありがとうございました!)