2018年06月26日 夕方公開終了
文=大原扁理
「個人と社会の豊かさ」を考えるようになって、「豊かさ」が自分だけの問題ではなくなってくると、貯金に対しても、それまでと異なるイメージを抱くようになりました。
私の場合ですが、必要以上にお金を貯金しておくのがもったいないと思うようになったんです。
ふつうは使うのがもったいないと思うものですし、私も都心に住んでいたころは、自分の生活だけでも精一杯なのに、他人のためにお金を使うなんてありえないと思っていたので、完全に逆の発想です。
でも私はもう今の時点で自分に必要な金額を知っているし、少ないお金でも生きていけるように自分自身を訓練してきました。半年以上やっていけるだけの生活費が銀行口座にもあります。もしこれ以上のお金があったら、ただ自分の豊かさのためだけに銀行口座にずっと閉じ込めておくのって、もったいない。使わないでとっておくより、もっと自分と世間のために役立てるいい方法があると思うし、そのほうが全体的には豊かで、お得だと今の私は判断します。
厳密には、銀行に預けたお金は、事業の融資などに使われているわけなので、まったく無駄にはなっていないと思うのですが、その銀行がクラスター爆弾を作っている会社に投資している可能性だってあるわけです。私の大切な貯金をそんな不本意なことに使われるくらいなら、余剰金の融資先は自分で決めたい。
といっても非現実的な規模の話ではなく、たとえば外食をするときは、同じお金を使うなら、自分も含めてより多くの人が幸せになる使い方は何か。いまの私であれば、チェーン店や激安の食べ放題よりも、食べることを大切にしていたり、何か社会に新しい価値を生み出しているような、個人的に応援したいと思うお店に行くようになります(チェーン店が嫌いなわけではないので、時と場合によりますが)。
こうしたお店でお金を使うとき、私は社会というひとつの大きな銀行に貯金する、というようなイメージで使います。すると、自分の大事なお金を預けるわけですから、そのお店が何を大切にしているのか、社会にどういう影響を与えているのか、さらにきちんと働いている人にも還元しているか、ということまで気になるようになります。今まさに使おうとしているお金の価値が、どうすれば自分と社会のために最大化できるのか、真剣に考えるようになるんですね。
でもまあ、お金を使うことを目的に生きているわけではないですし、正解があるわけでもないので、あくまでもイメージの話で、わかりにくいかもしれません。
ただ、お金を使うときに、社会に貯金しているようなイメージを描くと、「豊かさ」が自分という枠を超えて無限に広がっていく不思議な感じがするんです。自分だけのものではなくなっていくと、お金を必要以上に所有しなきゃいけないというストレスからも解放されて、自分がとてもラクになっていきます。
低所得の隠居がこんな話をしても、「もっとお金を持ってから言え」と叱られてしまいそうですが(笑)、将来もし自分がお金をたくさん持つことがあったらどうなるか、いまから楽しみにしておきたいと思います。
大原扁理(おおはら・へんり)
1985年愛知県生まれ。25歳から東京で週休5日の隠居生活を始め、年収100万円以下で6年間暮らす。現在は台湾に移住し、海外でも隠居生活ができるのか実験中。著書に 『20代で隠居 週休5日の快適生活』『年収90万円で東京ハッピーライフ』。
北尾修一 (@kitaoshu1)
【公開しました】必読回です。 お金に対する見方・考え方の変化 06-社会という銀行に貯金する https://t.co/tZhUzet04g
大原扁理 (@oharahenri)
連載更新されましたー
低所得生活のなかで、「豊かさ」が自分という枠を超えて無限に広がっていく不思議な感じがした、という話です↓
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@nantonakukanotn
投資も本来はこういうコンセプトだったはず。生活を支えたり豊かにしてくれたりする企業の応援。
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