2025年12月18日 夕方公開終了

文=堀静香

子どもが5歳になった。子にとっては誕生日といえばすなわちプレゼントがもらえる一大イベントであって、何ヶ月も前から何をもらうか思案しては高らかに宣言し、かと思えばすぐまた撤回し、そんなことを飽きずに繰り返していた(やっと決まったのはシンカリオンのハーデスというモデルで、うちに元からあるファントムシンカリオンと合体するとカオスシンカリオンになる)。
子は11月生まれで、ちょうど七五三のシーズンでもある。きょうだいの年齢によって何歳でやるかどうかは家庭によってさまざまなのだろうが、うちは5歳でやろうと決めていたので、この11月は誕生日と、立て続けに七五三も控えていた。たまたま家からそう遠くないところにほどよい規模の神社があって、その近くに貸衣装のスタジオもあり、また夫の知り合いの写真家の方にロケの撮影もお願いでき、そうして七五三にまつわるあれこれはすべてとんとん拍子で決まっていった。

そもそも、七五三をやらない家庭もあるだろう。うちも、わたしが「やりたい」と主張しなければ流れていったかもしれない。というのも夫の母はプロテスタントの牧師であり、夫自身も七五三をしていないという。洗礼こそ受けてはいないが、そういう背景でたとえばお正月、うちの実家に帰省して初詣に出かけても、夫は手を合わせない。ひとりで、神社の隅で待っている。わたしもまた逆に夫に誘われてクリスマスの礼拝に出たこともある。そうしてこれまでときと場合によって、お互いの文化に合わせてやってきた。ふたりであればそれでよかったが、その後子どもが生まれたときに、お宮参りをするかどうかでわたしたちは初めて揉めたのだった。

わたしが当時主張したのは「みんなしてるからわたしたちもやりたい」という、いま思えばなんともつまらない文句で、夫の気持ち、夫の習慣や文化を尊重する気持ちに欠けていた。お宮参りなどしなくとも、ただでさえ産後まだ身体もぼろぼろななか、そういう準備や手配などに頭も回らず、それでも一意に、みんながやっている(はずの)ことを自分だけがやらずにスルーしてしまうことが、そのときは不安だった。赤ん坊を、あのいかにもめでたい布でくるんで神社に詣って祈祷してもらえたなら、なんだかそれで安心できるような気がした。けれどそんな気がしただけで、別に結果やらなくたって問題はなく、こうして子はすくすく育ち、5歳の誕生日を迎えることができた。

そんなふうに5年前にお互いにとっての苦い記憶がありつつ、けれど今回はわたしのたっての希望で七五三を敢行した。自分にだってほとんど記憶にないことを、どちらかといえば7つ離れた妹の七五三に同行した記憶のほうがはっきりとあり、近所の神社へ行き、祈祷してもらい(住所読み上げのところで母が肩を震わせて笑いを噛み殺していた)、デパートの地下のフルーツパーラーへ行った。普段は行かない特別ないっとき、おめかし、11月の曇天、そんな家族の行事として、それがうれしかったとか楽しかったとかそういうことでもなく、ただ覚えている。こうしてただ覚えていることがなんだか大切なようにも思う。

七五三当日は快晴とは言わずとも穏やかな天気で寒くもなく、この日のために子は初めて美容室へ行った。わたしもちゃっかり着物を着ることにした。シーズン中とはいえ平日午前中の神社はのんびりとして、デイケアの高齢者や保育園の散歩の子どもたちが行き交って、「おれもこの前やったー」「あの棒の飴おいしいんよねー」「まあいいわねー」「ねー」などと言われながら、すると元来恥ずかしがりの子どもは照れて仕方なく、カメラマンをたびたび苦笑させ、いつもの癖で下唇を完全に仕舞いこんで横顔がスネ夫のようなシルエットになる。
11月、知らぬ間にすっかり紅葉し、もみじのグラデーションを背景に、子はこちらの呼びかけにも応えず、とにかく照れて照れて、千歳飴で顔を隠して撮影にならない。そういう姿こそいまの5歳、貴重なリアル、とも思いつつ両側からわたしと夫で手をつなげばばぐにゃぐにゃになり、予想通りとはいえ手を焼きながら、けれどそんなこんなで七五三は無事に終わった。

形だけのそれと言えばそうだけれど、初めてちゃんと家族でご祈願をしてもらって、記憶のなかではわたしの妹のときの七五三と同じかたち、頭を垂れながら、聞き取れる言葉のうちに「世のため人のため国のためとなって云々」という文句が耳に残る。親としては誰のためでもなく、自分のためだけに、いまのまま、ただ元気でいてくれればいい。傲慢ながら、きっとどの親もそうしてわが子の無事を願う。それでいいのかな。いやそれでいいんよな。親の前でむっつり黙るときがあっても、どこかで、誰かの前で笑顔でいてくれればよく、キリスト教にせよ神道にせよ、何の神に対しても祈ることは同じで、もちろん祈祷中にそんなことは考えない。夫が「あの節回しで住所まで全部読み上げてくれるんなら、アパートの名前まで書くんだったなあ」と言う。神さまに、わたしたちの、わたしたちの子の居場所を具体的に知らせることの、おかしさを思いつつ、神さま、何の神でもいいけれど、わたしたちはいまここにいます。
 
 てのひらにひかり注いでくれる子の口へケーキのいちごを運ぶ/馬場めぐみ

堀静香(ほり・しずか)

1989年神奈川県生まれ。歌人、エッセイスト。「かばん」所属。上智大学文学部哲学科卒。中高国語科非常勤講師。著書にエッセイ集『せいいっぱいの悪口』『がっこうはじごく』(百万年書房)、『わからなくても近くにいてよ』(大和書房)。第一歌集『みじかい曲』(左右社)で第50回現代歌人集会賞を受賞。