2025年10月30日 夕方公開終了
文=堀静香
二日酔いの日曜日、昼間から風呂に入る。夫は朝から書店で哲学対話のイベントがあり、元々子どもとふたり家で過ごす予定だったところ、ソファからまったく動かない(動けない)わたしを見限ってか、子も夫の仕事へついて行ってしまった。いそいそと布団に戻り、午前中は寝て過ごした。ほんとうはやることがたくさんあって、寝ている場合ではなくて、そういう状況でのまどろみは気持ちいい。昼には大分だるさも引いて、このまま風呂で汗をたくさんかけばきっと全快、とまではいかないけれどわりとシャキッとできるはず。
どんなに楽しく愉快な飲み会でも、二日酔いの翌朝には気持ち悪さ以外の憂うつさがやってきて、これを「酒うつ」と呼ぶことを知ってなるほどと合点した。酒を飲んで楽しくなった反動で気分が落ち込む。何やら漠然と不安。楽しければ楽しい分、そういう落ち込みがある。ただそういう抑うつ的な気分も、二日酔いが治まる頃には落ち着いて、気づけばふだんの自分を取り戻している。ただ、家でどんなに飲んだとしてもこんな落ち込みはなく、わたしの場合飲み会に出ると、翌日どうも気が滅入ってしまう。
断片的に記憶がないとか、失言をしたとか、そういう酒由来の失態を反省して落ち込むというのではなくて、ただ楽しかった反動でしぼんでしまう。無意識に気を遣って疲れたとか、そういうことでも多分ない。楽しくて、あんなに笑って頷いて、なんでかそういうあかるい気分とセットで焦りや不安はやってくる。
昨夜は、定期的に開かれる保育園のママたちの飲み会だった。飲み会好きとしては腕まくり案件であり、毎度欠かさず参加している。翌朝仕事だからとノンアルを選ぶ人、久しぶりに飲んじゃおうという人、毎度しこたま飲む人(わたし)、みんなで乾杯できるのがうれしい。それぞれに別の生活や仕事の持ち場があって、なんとか都合をつけて集まって、あれやこれやと話す、この場があることがうれしいし、代えがたいなあと思う。でも、どうもその場で話される話題に乗れないことも多かったりする。
ぎこちなく、探りつつ、相手や場にトーンや声を合わせて相槌を打つ、笑う、手を叩く。必ず出る話、美容のこと、35歳を過ぎたら簡単には痩せないんだって、肌の調子、筋トレ、やっぱり女の子はね、よーく大人の話聞いてるよね、男の子はね、いつまでもほんと単純だよね。話す方も、頷く方も、本心であるかはわからない。当たり障りのないことなのかもしれない。それでも、なんとなくみんなが同調するような、飲み会にはそういう一体感がどうしてもある。
そういう相容れなさ、わからなさ、笑えない、と思えば突っ込めそうなときにわたしは口を挟もうとする。わたし目細いからさぁ、と言うママにはそんなことないよ、そんなふうに自虐しないで、と言う。ちょっと驚かれる。日焼け止めも塗ってなくて、えー、塗らないの? というやりとりには(したいようにすればいいじゃん)と静かに憤慨する。すべてに突っ込めるわけではない。見た目に気を遣う人、そうでない人、なんだかよくわからない固定観念、さっきから通らない追加のオーダー、変な配色のタイルのトイレ、曇った鏡に映る顔の赤さがまだらな自分、のちょっと虚な目。
誰かが誰かに打つ相槌の粗雑さに勝手に傷ついたり、おかしい、変だと思うことを言わずにいたり、そういう自分の繊細さを言いたいわけでは全然ない。話せてうれしい、今夜ここで会えてうれしい、それぞれにあるそれぞれの家庭、そこでの会話、生活、似ているようで違うすべてをそれぞれがまとって、ここにいる。話す、笑う。笑い合う。同じ地元、違う学校、案外と近い職業、男の子ママ、女の子ママ、グラデーションの年齢差、違って似ていて、わかるわかる(ん? わからない)、うんうん、ほんとだね。そうやね。隣同士、斜め向かいへ、席の端と端、聞き返し、質問し、やっぱりわたしたちは頷き合う。
飲み会の翌朝の不安や落ち込みというのは、実のところその「当たり前」に当てられている、ということなのかもしれない。当たり前、というのはただ一人ひとりがまったく違うということ。違う身体、考え、感覚、違う気分のわたしたちが、こうしてひととき顔を合わせる。お互いの「当たり前」を持ち寄って、話し合って聞き合っている。全然違うはずなのに、なぜだか似ている、わかるような気がしてやたらと頷いてしまう。そういう期待、仲良くなれるんじゃないか、少しはなれた気がするような。少なくとも、次に園で会えば笑って手を振りあえそうな。わからないのは当たり前で、ほんとうにはそれでよくて、やっぱり全然違ったまま、また元の暮らしへみんな戻っていく。その「当たり前」をたっぷり吸いこんだ翌朝に、なんだかどうにもそわそわしてしまうのだと思う。
3次会はカラオケで、気づけば4時、家が近いママ友と歩いて帰った。途中でコンビニに寄っておにぎりを食べながら、見上げる空にはちょっと声の出るくらいの星々、立ち止まってスマホをかざしてもけれど全然写らない。
ぶらぶら歩きながら、なぜかうちの夫の人の良さについての話になり、「あんなにいい人なわけないんだから、ほんとはきっと腹黒いんよね?」と真面目に訊かれて笑ってしまう。そうかもしれない、ほんとうは腹黒いのかも。ずっと一緒にいてもわからない。ママ友にはそんなに「いい人」に見える夫がおかしくて、4時なのにまだまだあたりは真っ暗で、酔っているんだかいないんだか、へらへらしながら、さっきより少しだけしゃきしゃき歩いた。
風化したアポロチョコが西瓜のにおい 人と話がしたかっただけ
堀静香(ほり・しずか)
1989年神奈川県生まれ。歌人、エッセイスト。「かばん」所属。上智大学文学部哲学科卒。中高国語科非常勤講師。著書にエッセイ集『せいいっぱいの悪口』『がっこうはじごく』(百万年書房)、『わからなくても近くにいてよ』(大和書房)。第一歌集『みじかい曲』(左右社)で第50回現代歌人集会賞を受賞。