2025年10月23日 夕方公開終了
文=堀静香
飲み会というものが好きで、参加できるなら絶対に参加したい。お酒を飲み始めた大学生の頃から一貫してそういうマインドで生きている。といって特別酒が強い訳でも、社交的でもなく、ただ飲みながらみんなが話したり笑ったりする、楽しげな場にいるのが好きなのだと思う。
先日、岡山で2回目の写生文ワークショップがあって、前回は日帰りで行ったが今回はせっかくなので宿を取った。ただあてもないまま、もしかしたらあるかもしれない飲み会を見越して宿を取るという無鉄砲なやり方、結果飛び入りで飲み会に混ぜていただけることになって幸運だった。このまま予定がなければただ「かなしい人」になるところだった。
飲み会のなかでも、とりわけ大規模なものが好きだ。今回も座敷を貸し切ってわいわいやるタイプのもので、最高だった。初めて話す人ばかりの席でも気にしない。むしろそのほうが楽しい。といって先に書いた通り社交性はないので、すすんで会話を回したりなどはできない。多分そういうわたしの人見知り感というのが相手にも伝わるのか、むしろ気を遣って話しかけていただいたりして、ありがたい。わたしはとにかく、同じテーブルの人たちのグラスの状態を気にしている。あと数口、というところで「次何飲みます?」と訊く。瓶ビールであれば注ぐ(お酌はされるより、断然したい)。ひょっとすると迷惑かもしれない。でも仕方ない。たくさん飲んで、たくさん笑っている人を見るのが好きなのだ。つられて自分も酔っぱらって、もう何がなんだかわからなくなるのがたまらなく愉快である。
二次会、三次会も行っていいなら絶対行きたい。流れで解散しそうになるときには自分から言い出す。言い出せばたいてい誰かは付き合ってくれる。その結果二日酔いになったりもするが、あの楽しさと引きかえならば仕方ない。
いったい何がそんなに楽しいのか。酔えばまず文脈というものが消えるので、誰と何を話したか、当然ながらぼんやりとしか覚えていない。テーブルの上の、たくさんのジョッキやグラス、食べさしのそれぞれの皿、話し込むふたり、まだどこか気まずそうなテーブル、倒れこむように笑う人、あちこちでみんなが話すさざめきや拍手、その場にしかあり得ない雑然とした空間というのか、ぐちゃぐちゃで混沌とした場のなかにいっときこうして存在していることが、わたしはいつも、なんだかうれしい。
こういう飲み会というのは、たいてい何かの会の後に開かれる。今回で言えばワークショップ、あるいはまた歌会や読書会、勉強会など、同じ趣味や仕事や何かの集まりの後の交流の場、さっきまでの話題がふたたび議論されたり、あのときこう言ってましたよね、みたいなふり返りがなされたり、それなりの真面目な時間を経てのいま。そうか、わたしは飲み会というか、どうやら打ち上げが好きなのかもしれない。何かの後には必ず打ち上げたい。
こうして書くと、なんだか人好きのする人間であるかのように思われるかもしれないが、まったくそんなことはない。いつも誰かの悪口ばかり言っているし、夫には「王様」と呼ばれるし、とにかく捻くれた人間なのでどうしようもない。人が好き、人と話したい、相手のことを知りたい、そういう前のめりな気持ちはないけれど、もちろん偶発的に生まれる会話のなかで誰かの一面が知れることはうれしい。けれど何より、たまたまそこに集まって、集まることができて、みんなわいわい話している。笑っている。そういういっときを、けっこう本気で奇跡のように思っている。特別好きな人でなくても、ほとんど知らない人でも、この夜に目を合わせて頷き合えたことが、ほんとうにうれしい、よろこばしい。だから飲み会が好きなのだと思う。
もう10年ほど前になるけれど、東京で毎月のように開かれる勉強会があった。オープンな場で、毎度参加する人は入れ替わる。たいてい金曜の夜、打ち上げは21時くらいから安い中華料理の店で、どんな大人数で訪れても予約なしで入れてくれた。真面目な話題も、そうでないことも、知り合いもそうでない人も、同じテーブルを囲んでいる。ビールとウーロン茶はピッチャーで頼んで、ピッチャーで注ぐビールは泡だらけになった。酔っぱらって店を出ると、店の前には自転車が停めてある。この勉強会で親しくなった人のものだ。「乗せてください」と言ってサドルの高いマウンテンバイクに跨り、よろめきながら歩道を進む。先に店を出ていたみんなが「うわ」「あぶないよ」「それ○○さんのじゃない?」などと言いながら道を開けてくれる。そうしてみんなをすいすい追い越して、ひとり先に着いた駅前の広場をゆっくり回り、その場に溜まっていた他の集団としゃべっていると、追いついた仲間たちが「ほりさんがまた知らない人に絡んでる!」と駆けつけて止めに入る。わたしは正気だが、傍から見ればどうやらめちゃくちゃ酔っているらしい。あのどこまでも走れそうなマウンテンバイクの細い車輪、使い込まれたハンドルの形、なまぬるい金曜の夜の風、だってほんとうに、そういうものにいまも生かされている。
おしぼりの熱を押しあてすべて目が見せるまぼろしこの世のことは/山階基
堀静香(ほり・しずか)
1989年神奈川県生まれ。歌人、エッセイスト。「かばん」所属。上智大学文学部哲学科卒。中高国語科非常勤講師。著書にエッセイ集『せいいっぱいの悪口』『がっこうはじごく』(百万年書房)、『わからなくても近くにいてよ』(大和書房)。第一歌集『みじかい曲』(左右社)で第50回現代歌人集会賞を受賞。