2025年10月09日 夕方公開終了

文=堀静香

家族で北海道旅行に行った。夫、子ども、わたし、そしてわたしの両親あわせて5人。これまで、旅館のバイキング会場で何世代もの家族親戚一同がわいわいがやがややっているのを他人ごとのように眺めてきたが、気づけば自分も同じことをやっている。といって一番おしゃべりなのは夫くらいで両親は静かなので、傍目からあらあらにぎやかなこと、という感じにはおそらくなっていない(と思う)。
去年は去年で両親とともに小倉を旅行しているし、つまりこういう旅行自体初めてではない。それでも全行程ともに過ごす二泊三日の北海道旅行というのは、なんというかまったき「家族旅行」であった。
台風の多い時期だし、子連れだし、それなりの人数で行く旅行というのは、「当日全員無事に揃うのか」という一点にすべて懸かっている。荒天による欠航、子どもの発熱、コロナ感染……心配すればきりがなく、当日まで落ち着かなかった。結局、子どもの風邪をうっすら引きずりつつではあったが、新千歳空港で両親と合流できた時点で、(もうゴールだ……)とひとりほっとした。

「また北海道に行きたいね」というのは実家に帰るたびに誰かが(主にわたしが)口にすることで、30年前家族で住んでいたことを懐かしんで、また行きたいね、と飽きずに思う。思えば言う。そんなふうに、これまでだいたい10年おきに家族で北海道を訪れてきた。小学1年生の時に妹が生まれたこと、毎年ものすごく雪が降り積もること、毎日のように通った市立図書館など、物心ついた4歳から小学2年まで過ごしたその数年間を、わたしはしあわせなものとして記憶している。初めて北海道に行く子どもには「ママがあーちゃんと同じ4歳の時に、住んでたところに行くんだよ」と話してあった(子はとくに感慨なさげに「ふーん」と言うのみ)。
当時住んでいたのは新さっぽろの辺りで、今回レンタカーで当時住んでいた周辺を通った。暮らしたマンションも、幼稚園もまだちゃんとある。曰く、通っていた小学校を久々に訪れればその校庭の狭さ、建物の小ささに驚くものだ、という一般的な言説というか実感があるけれど、それで言えばマンションも幼稚園も、外から眺める分には当時のまま、ちゃんと大きかった。マンションの前に車を停めて、父と母とわたしとで並んで写真を撮る。子どもは写りたがらず、だから30年前のメンバーで、みんな30年分年を取って、肩を寄せている。ここってオートロックだったけ? いやどうだったかね、後からつけたのかね、などと言い合いながらしばらくなつかしんだ。
 
サッポロビール園でジンギスカンを食べ、翌日旭山動物園へ行き、旭川の温泉に泊まった。ビール園に行きたがっていた父は肉を焼きながら「夢みたいやなあ」と言った。すかさず、出た、と思う。父のなかでのおそらく最上の状態をあらわすのが「夢みたいやなあ」という台詞であり、今回の旅では4度聞くことができた(すべて酒を飲んでいるときだった)。でもまあ気持ちはわかる。ほんとうに、「夢みたい」かもしれない。夢かもしれない。暮らす場所の違う家族がこうしてみんな揃って、北海道にいる。いつもは「はいはい」とあしらうかただ流すか、けれどそのときはしみじみ、夢みたいやなあとわたしも思った。

旭山動物園は母の希望で、4歳の子どもももちろん楽しんでいた。もう20年くらい前になるのだろうか、当時刷新的な動物園のスタイルとして一躍有名になって、こうしていまも多くの人が訪れている。はじめに見たカバ園ではカバが陸と水槽とを自由に動き回っており、子どもが間近で見ていたら「危ない、離れて!!」と飼育員さんの声がしたかと思うと、カバのうんちが飛んできた。危うく子どもにカバの大量のうんちがかかるところだった。子は日々「うんちぶりぶり~」と連呼しまくっているが、マジモンのうんちにすっかり腰を抜かしていた。カバのほか、キリンやヒグマやペンギンなど、全体として(動物にも人間にも)行き届いた動物園だなあと感心したが、とにかくわたしは初手のカバ園が最高だった。あんなにいきいきしたカバは初めて見た。

札幌―旭川間は車で3時間ちょっとの距離があり、子どもはもちろん、大人にとってもかなりの移動だ。主に夫が、たまにわたしが交代しつつ運転して、旅行中はなんだかずっと移動していたように思う。北海道の道はとにかく広い。まっすぐでなめらかな道がどこまでも続いて、だから視界はつねに開けている。札幌から乗った高速を降り、旭川に向かう途中、一面田畑が続いていた。窓を開けて、入る風が涼しくて心地よく、どこまでもどこまでも緑の、黄色の、黄緑の均された道を通り抜けながら、初めて通る道のはずなのに、たまらなくなつかしい気持ちになる。初秋の北海道の底しれぬさわやかさが身体を満たして、昔の自分にまできっと届く。こんな風の匂い、こんな空のあかるさ、広さ。あの頃も無意識に感じていたかもしれない心地よさを思い出すようで、それで車内でひとり泣きそうだった。父も母も、喋らない。夫は運転している。子どもはぐずった末に眠ってしまった。口にすることはなかったけれど、父の言葉を借りれば、あのときがわたしにとって一番、「夢みたい」な時間だった。

見えますか食べものを出しっぱなしのテーブルあれが北海道です/雪舟えま

堀静香(ほり・しずか)

1989年神奈川県生まれ。歌人、エッセイスト。「かばん」所属。上智大学文学部哲学科卒。中高国語科非常勤講師。著書にエッセイ集『せいいっぱいの悪口』『がっこうはじごく』(百万年書房)、『わからなくても近くにいてよ』(大和書房)。第一歌集『みじかい曲』(左右社)で第50回現代歌人集会賞を受賞。