2025年10月02日 夕方公開終了
文=堀静香
夏の心残りといえば、子どもに映画を見せてやれなかったこと、かもしれない。
たまたまテレビでゴジュウジャーの映画CMを見た子が「あーちゃんまた映画見たいなあ」とつぶやくので、そうだねえこの夏になんか映画見に行こっか、と話していたのだったが、結局そのまま行かずじまいになっている。
子どもの映画デビューは去年、夫と見に行った「劇場版ワンダフルプリキュア」である(わたしは締切に追われて行けなかった)。初めてながらもしっかり最後まで楽しめたようで、以来たまに思い出したように「映画見たいな」と言うようになっていた(ちなみに、その日上映時間に間に合わせようと車を飛ばした夫はスピード違反で罰金を食らった)。
夏休みということもあり、ゴジュウジャーのほかにもいくつか候補はあった。恐竜好きな子に「ジュラシック・ワールド」なんかもいいかもね、と夫と話していたのだったが、既に鑑賞済みの友人いわく、とても4歳児が見るに耐えるものではない、とのことで止めになった。たしかに人間が食いちぎられたり、とにかくばんばん死んでゆくのを見ればシンプルに恐竜が嫌いになりそうだしトラウマになりかねない。映画に登場する愚かな人間は必ず死ぬのでとにかく爽快、痛快と友人が言っていたのを聞くにつけ、ジュラシックシリーズというのは大人の娯楽なのだなと合点した。
自分が初めて見た映画はなんだろう、とふり返るに、思い出せるうちでは「学校の怪談」がすぐに浮かぶ。調べると1996年上映なのでちょうど30年前、まだ札幌に住んでいた5歳の頃、ということになる。内容はおぼろげながら、母とふたりで映画館に行ったこと、わくわくした記憶はわたしのなかで「いいもの」としていまも残って、だから子どもにもそんな思い出を、などと鼻息荒く思うのだろう。
といって、実は数ヵ月前にも家族3人で映画を観に行っている。ただ、子どものためではなく、わたしが観たかった「ロボット・ドリームズ」がYCAMシネマで上映されると知り、ふたりに付き合ってもらったのだった(YCAMシネマは以前この連載でも「どうすればよかったか?」を観たときのことを書いているが、映画のみならずアート系など常に面白そうな催しがひろく深く展開されており、山口無二の良施設である)。
アニメと言えど無声映画で102分、全然子ども向けじゃないなあ、途中で飽きてごねるかなあ、と隣でひやひやしつつ、けれどわたしはわたしでしっかり楽しんで、おまけに最後はぼろぼろ泣いた。いっぽう子どもは「たいくつだった」と言い、夫は「とてもよかったけれど、泣くほどのものかはわからない」と、ふたりは至って冷静だった。プラネタリウムのときもそうだったけれど、なんだかわたしばかり泣いている。そしてそのたび、ふたりはちょっと白けている。
映画の内容は、検索すれば出てくるポスタービジュアルのとおり、犬とロボットのふたりの友情をめぐる物語である。あらすじにも決まって「犬とロボットの友情――」と書かれるとおり、たしかにまずはふたりの「友情」と言いたくなる。けれどどちらかというと恋愛関係に近い、と確信したのはラストあたりのシーンで、なんとかネタバレにならないように書くと、お互いがお互いの「特別」と認識し合うのは、ひとりとひとりである、という場面がたしかに描かれている。
「ひとり」の寂しさに耐えかねた犬が買ったロボット、ふたりはすぐに特別な友人になる。友情、友愛、恋愛、そうした熟語であらわせば何かを取りこぼすような、ただ大切な「ふたり」の話なのだ。大切なはずなのに始まりも終わりも平凡で偶然で、そう、ものすごくありふれている。ありふれているのに、こんなに泣ける。ありふれているからといって、それが特別じゃないわけではない。出会いと別れをめぐって、偶然やすれ違いをかきわけて、ひとりじゃなくてふたりなんだな、と思うともうそれで胸がいっぱいで、思い出しても泣けてくる。犬もロボットもきっと必ずどこかにいる。これはわたしのことじゃなく、けれど同じだけ自分のことで、だからかなしくてうれしくて、どんどん後から涙があふれてくる。
劇中でくり返し流れる「September」(Earth, Wind&Fire)が切なくて、それまではただ有名な曲、くらいの印象しかなかったメロディが物語を得てこんなに鮮やかによみがえるんだ、と思う。映画を観たのは4月だけれど、いまは9月、改めて曲名が染みる。だってさびしいのは9月、切ないのは9月と決まっている。
そんなふうにひとりはらはら涙を流しながら「September」を聴いて、竹内まりやの「September」もついでに聴いて(「そして九月は/さよならの国」という歌詞が好き)、いまは9月。まだまだ暑い8月の延長、それでもきっぱり、もう夏ではない。暑いまんまで透かし見るように秋は概念としてちゃんとここにある。きっとみんな、気持ちだけがつんのめるように秋へと向かって、そういう落ち着かなさ、心許なさを「寂しさ」と呼んで、誰かを、何かを恋しがる。秋味はとびきり美味いが、秋は寂しい。いや9月がどうしたって寂しくて、あの映画を思い出してはこうしてひとり、しんみりする。
いつだって造語のようなすずしさで秋は来るのださびしくはない/笹川諒
堀静香(ほり・しずか)
1989年神奈川県生まれ。歌人、エッセイスト。「かばん」所属。上智大学文学部哲学科卒。中高国語科非常勤講師。著書にエッセイ集『せいいっぱいの悪口』『がっこうはじごく』(百万年書房)、『わからなくても近くにいてよ』(大和書房)。第一歌集『みじかい曲』(左右社)で第50回現代歌人集会賞を受賞。