2025年09月18日 夕方公開終了

文=堀静香

車で小一時間ほどの場所にあるプラネタリウムに行った。大きな公園のなかに、川やプール、児童館があり、そのなかにひっそり、小さなプラネタリウムがある。前に一度来たことがあって子も楽しんでいたのでこのたび、ちょうど近くに来たのもあって寄ってみた。

プラネタリウムが、わたしはけっこう好きだ。というか、漠然と宇宙に興味がある(と書いて、漠然とであればみんな興味があるんじゃないだろうか、宇宙)。
たとえばものすごい二日酔いの朝、棚からスマホを落としてそれが足の指に直撃し、思わずいてぇ、と声が出る。落ちる、というよりわたしの足めがけて鋭く突き刺さるように思えるとき、ぼんやりした頭で(重力って何……)と怖くなる。すべてのモノには重力がある、ゆえにすべてのモノはその力に従って落下する。どこに向かうかと言えば、地球の中心だという、その不思議。地球の中心に何があるというのか。あくまで二日酔いの朝、ぼんやりと、漠然と、(宇宙……)と思うのだ。

あるいは子どもがふいに「一番大きい数は何か」と問う。そんなものはない、数はどこまでもつづくのだ、それを「無限」と呼ぶのだ、と言うと子どもは当然ぴんとは来ない。そこに重ねて「宇宙も無限!」とわたしは言う。子はもう聞いていない。
数が無限ということと、宇宙は無限、そのふたつの繋がりをほんとうのところ、全然理解していないけれど、「宇宙」という字が時間と空間そのふたつをあらわしているように、時、空間の広がり、伸び縮み、万有引力、いま、ここ、わたし……と思いきり鼻から息を吸って胸をふくらませて、勝手に雄大な気持ちになる。そんなふうに漠然と、宇宙が気になる。気になりつづけている。

今回のプラネタリウムのプログラムは夏休み中ということもあってか、星座紹介に加えてドラえもんの短編アニメが組まれていた。あまり内容も知らないまま見たのだったが、これがわたしの胸を打った(そう、胸を打った!)。
ストーリーは、いつものようにジャイアン、スネ夫に煽られたのび太がドラえもんに泣きついて「宇宙模型」というひみつ道具で星空を見に行く、ついでにみんなで宇宙を探索しよう、というもの。それがテレビ画面でなく、プラネタリウムのあのドーム型の大画面に映るともう、まったく別物なのだ。迫力満点、惑星が次々に迫ってくる。宇宙のなかの燃える太陽、水星、金星、地球、と順にめぐる太陽系、太陽系の外の銀河、天の川銀河の外の、無数の銀河系、銀河系を超えた編み目のような宇宙の粒、その細かなレース模様、どこまでも引いて引いて遠ざかる無限のかなた……、ストーリー展開として一時ブラックホールに飲み込まれんとするハラハラシーンもありつつ、遠く遠くの果てまでを観測したドラえもん一行は、また光の速さでぐんぐんみるみる地球へとワープする。
その、果てしなく遠い宇宙から、銀河系の網目を縫って天の川銀河へ、そのなかの太陽系をなぞり、ぐん! と地球が見え、日本が見え、「いま、ここ、わたし」にたどり着くまでの映像を見ながら、つーっと涙が流れる。遠すぎて、いまはいましかなさすぎて、抱えきれない距離、時間、すべてに圧倒されて上映中、わたしひとりが「うぉーっ」「あれまーー」などと雄叫びをあげてしまった。(うちの子どもも、ほかの子どもたちもおとなしく観ていたのに!)

無事宇宙旅行を終えた後、ジャイアンがぽろっと「なーんかお腹空いちまったな!」と言う。みんなアハハ、ジャイアンたらー、と流していたがわたしはまた、そのセリフにもぐっときた。 
遠く遠く、想像のできない時間と広さの果てがほんとうにいまも存在して、けれどわたしだって、そのどこか、つまり「ここ」に「いる」。ここにいるから腹が減る。生きてんだ、生きてるからお腹がへる。つまりは、わたしたちが生きてるってことだよね、ジャイアン。それって真理だよね。肩を叩いてそう言ってやりたい。

上映後、「はー、面白すぎて泣いちゃった」と言うと、なんで? と夫も子どももあきれていたが、宇宙はすごいなぁ。意味わかんないし変だよなあ。こんなにも意味わかんないことがいまある、ずっと前からありつづけていることが、どうにも愉快すぎる。
よく、宇宙の大きさに比べたら私の悩みも、私の存在すらちっぽけに思える、という言説があるけれど、そしてときにそのことをややネガティブに捉えたりもするけれど、わたしはやにわにうれしさがこみ上げる。果ての果ての果ての、そのまた果てのどこかに、いや、いまここに存在する、宇宙のため息、いやため息にも満たない瞬き、瞬きのほんのわずか一瞬間、そのあいだに思考し排泄し、悩み選択し、鼻くそをほじり夫を罵り、生きている。生きていれば頭は臭くなる。鼻の脂が滲む。この現実、このつまらない生。うれしいな、つまらないな、変だな、死ぬんだな。「いま」と「いつか」がチラチラ光りつづけて、わたしはうれしい。宇宙は漠然と、ずっと面白い。そんなふうに興奮して、「ああすぐにもう一回見たい、見よう!」と子と夫に提案してみたが、あっさり却下された。
  
 脂っぽいあたま抱けば一瞬の住所を銀河にもつ心地する/雪舟えま

堀静香(ほり・しずか)

1989年神奈川県生まれ。歌人、エッセイスト。「かばん」所属。上智大学文学部哲学科卒。中高国語科非常勤講師。著書にエッセイ集『せいいっぱいの悪口』『がっこうはじごく』(百万年書房)、『わからなくても近くにいてよ』(大和書房)。第一歌集『みじかい曲』(左右社)で第50回現代歌人集会賞を受賞。