2025年08月22日 夕方公開終了

文=堀静香

どうもわたしは「なつかしさ」に弱い。夏祭りがこんなに好きなのも、なつかしさを存分に噛みしめられるからだ。
ただ昔をなつかしがりたくて、夏祭りを尋常でなく楽しみにしている、というのは改めて思えばなんだか怖い。とにかく、なつかしさに飢えている。
飢えている、けれどなつかしさなんて日常のあらゆる場面で五感と結びついてすぐに起こされる。通りすがりの自転車の子どもが、透明のビニールのプールバッグをかごに入れていた。かつての自分も、同じようなものを持っていた。それだけでなつかしくてたまらず、凝視してしまう。

冬のデパートのほうじ茶の匂い、金木犀の香り、昔の流行歌、匂いと音の喚起力というのか、なつかしさに打たれる感覚は暴力的ですらあって、どうもいけない。
なつかしい曲、というのは誰しもあるはずだけれど、聴くと反射程に泣いてしまうものがいくつかあって、ひとつは90年代終わりから2000年代はじめにかけてのハロプロの曲。モー娘、モー娘から派生したたんぽぽ、プッチモニなどのユニット、松浦亜弥、明るくてまぶしくて、聴くたびに胸がいっぱいで涙が出る。
特に松浦亜弥の「トロピカ~ル恋して~る」と「ドッキドキ!LOVEメール」がずば抜けて良く、ひとり家で聴いては泣いている。たとえば前者はサビが「はしゃいじゃってよいのかな?」なので全然、泣くような曲ではない。(はしゃいじゃっていいよ……!)と思いながら泣く。傍から見れば完全に滑稽で、でも家での自分の姿なんて、誰だってたいてい変なのだから気になどしない。
もっといけないのは、クリスマスソングだ。もう無条件に泣く。定番のものであればなんでも好きだけれど、「Wonderful Christmas time」が特にだめ(?)でイントロだけでぼろぼろ泣いてしまう。真夏に聴くクリスマスソングはあまりに切ない。だってここから、あまりに遠すぎる。
ポップなあややの曲で泣いたり、クリスマスソングのイントロだけで泣いたり、情緒が不安定だけれど、そうじゃない。わたしはただなつかしさに異常に弱いだけで、それはつまり「いま、ここ」からはてしなく遠いということ、それだけで全部がぐにゃぐにゃになって視界が涙で霞んで、場合によっては嗚咽すら漏らす。どうにもだめなのだ。

ついこの間、子どもと夫と映画『ゴジラ2000(ミレニアム)』を観ていた。観ながら思わず「古っ」と声が出る。映像が古い。たしかに25年前の作品ではあるけれど、なんというかひとも街も何もかもがいまと違って見える。いや、25年ってそんなに前なのか? なんとなくの感覚で、2000年以降はまだまだ「こっち(現在)寄り」という気がしてしまう。でもやっぱり四半世紀と言えばなんだかそれは、とても遠い。
けれどあのときも、あのときが「いま」だったわけで、わたしだってあの「いま」にいたわけで、あの「いま」が過ぎてしまえばこんなにも古さとして感じられるということに、素直に驚いてしまう。いや、驚けてしまう。

この「いま」もやがて古くなる。古くなってしまう。それがどうにも信じがたい。いまはこんなに鮮やかでくっきりしてすべて新しくて。ほんとうに新しい? そんなの幻想なのかもしれない。「いま、ここ」を信じすぎる。信じるも何も、ただあるものを頼るしかない。わたしにいま感じられることを手綱のように引っ張っている。
いま、を頼りにしっかり握っていた手綱も、ずるずる後ろに引っ張られてゆく。後に残った、ここにある圧倒的な戻れなさ。いまはすぐにいまではなくなって、わたしから離れていく。昨日は、25年前は、もういまではない。離れていったいまはどこにいくんだろう。ささやかすぎる子ども時代の過去など誰にも忘れられて、ただ感覚だけとしてぼんやり感知されるだけ。あのとき、わたしは誰と行ったプールだったのか。いつ、それはどこなのか。すべて忘れて、ただあの透明なビニールのプールバッグだけがか弾けてかがやくように、やたらと懐かしい。

遠いことが切ない。遠すぎることが寂しい。なんでもないことをこんなにもなつかしい、と思って泣くのはやっぱりおかしい。過ぎてしまったあの日、もう思い出せないはずの些細なできごと、その輪郭だけがやってきて、どうにも溢れてしまう。
特別な過去なんかじゃない。特別じゃないからどんどん忘れてゆく。ほんとうには、忘れたっていい。もうどこにもなくて、そのときのわたしも、名前も顔も忘れた友人も、どこにもいない。話したことも、笑ったことも、何も残らない。ただ、あのときたしかに存在した匂いや音や感覚が、あるいはビニールのプールバッグの手ざわりだけが、強烈ななつかしさとして「いま」のわたしにやってくる。凝縮されたかつての「いま」が「いま」のわたしをぶん殴る。ぶん殴られて、ただその衝撃にわたしは何度も泣かされるのだろう。

保育園からの自転車の帰り道、子どもがふいに「大人になったら、ずっと大人のままなん?」と訊いてきた。「そうだよ。大人になったら子どもには戻れないんよ」「もう前のやまぐみさんにも戻らないん」「そうだよ」じっくり考えているのか、後ろに乗せた子どもの表情は見えない。昨日もその前も、過ぎたことは戻れないんよ。そうなんかね。ほんとうに戻れないんかね。戻れたっていいけどね。全部過ぎてしまうことがやっぱりずっとわからない。毎日暑い暑いと保育園から帰って、手を洗っておやつを食べる。テレビを見る。今日何したん、と訊くと「うんち」と返される。同じ日なんてないと思う。同じような日しかないとも思う。この日々すらなつかしいと思う日が来ることがちょっとこわい。そんな日はまだ来てほしくない。
 飼いもしない犬に名前をつけて呼び、名前も犬も一瞬のこと/吉田恭大

堀静香(ほり・しずか)

1989年神奈川県生まれ。歌人、エッセイスト。「かばん」所属。上智大学文学部哲学科卒。中高国語科非常勤講師。著書にエッセイ集『せいいっぱいの悪口』『がっこうはじごく』(百万年書房)、『わからなくても近くにいてよ』(大和書房)。第一歌集『みじかい曲』(左右社)で第50回現代歌人集会賞を受賞。