2025年08月15日 夕方公開終了
文=堀静香
夏になると、地域のあちこちで夏祭りが開かれてうれしい。わたしは無類の「地域の祭り好き」だ。由緒ある立派な祭りに興味はない。小さくてささやかで、ビールと盆踊りのある祭りこそ至高。そういう祭りでも子ども対象だとアルコールはなかったり、あまりに小規模だと盆踊りは行われない。そういうわけでけっこうレアな、ビールと盆踊りのある至高の祭りが今年は近所であると知ってとても楽しみにしていた。
三連休初日の夕方、魚のつかみ取り(という愉快かつ謎の催しがあるのも地域の祭りの魅力)の整理券確保のため、夫が先に家を出た。昼寝から覚めた子どもにおろしたての甚平を着せ、ちょっとしたつまみと缶チューハイ、氷とお菓子などぎっしり詰めた保冷バッグを持ち、現地を目指す。昼間はあんなに暑かったのに、夕方になれば日差しも落ち着いて風が気持ちいい。会場にはやぐらが組まれ、食品バザーのテントが並ぶ。たくさんのひと。「始まって」いる。祭りが始まっている……!
早速ビールを手にして(このプラコップで飲むビールがまたおいしい)この場の雰囲気を堪能する。浴衣を着ている女の子たち、と話しているジャージの男子たち、魚のつかみ取りコーナーからの歓声(残念ながら整理券は夫の目の前で終わったらしい)、酒を片手にこのにぎやかなざわめきのなかにいるだけで、こんなにもうれしいし楽しい。
と、よろこびもつかの間、夫がそそくさとテントに入ってしまう。曰く、予報によると間もなく大雨が降るという。いやこんな晴れてるし。でも降るよ、もう降るよ。と繰り返すので「お前は天気の子」か、とあしらっていたらほんとうに降り出した。
みるみる空も暗くなって、当分止みそうにない。テントは雨宿りのひとたちでいっぱいで満員電車状態だ。30分ほどそんなふうにみんな止まない大雨をぼんやり眺めていただろうか。テントの窪みにどんどん雨水が溜まり、たわんでいる。結局予定されていたダンスなど催しも中止になり、雨が弱まったタイミングでほとんどのひとが帰っていった。わたしたちも、ちょうど近所の友人に車で送ってもらえることになり、後ろ髪を引かれながら祭りを後にした。
帰宅できたのは幸運だったものの、「残念だったねえ」で済まないのがわたしである。ほんとうはもっと祭りを楽しみたかった。気づけば雨は止んでいて、このまま降らないならまだあの場にいられたかもしれない。そんなふうにうじうじ言って、気持ちを切り替えられない。子どもにも気を遣われるほどがっくりきて、そんな放心状態のわたしに夫はおそらく引いていた。というか単純にあきれていた。
わたしは実際、今日のお祭りをとても楽しみにしていた。この、「とても楽しみにする」ことの意味を、周りは(というか夫は)理解していない。わたしの「楽しみ」はそりゃもうほんとうの、本気の期待や希望なのに。全然伝わらない。
大人になったって、自分のなかには子どもがいて、その内なる子どもの声に耳を傾けることが大事、と何かで読んだことがあるが、わたしの場合、そんな大人しいものではない。内に子どもなどいない。わたし自身が子どもである。と言いつつこういうときに顕れる自分の幼さや、感情をコントロールできないことに後からしっかり落ち込むのだから始末が悪い。
けれど、もしこれが米津玄師のコンサートだったらどうだろうか。ちょうど、親しい友人が彼のライブに初当選して歓喜していたことを思い出す。仮に落選して寝込んだとしても、多少の同情は向けられるだろう。それとこの祭りと、いったい何が違うのか。比較などできない。たかが地域の祭りなのに、と思うほうが改めるべきではないか。わたしは今日をほんとうに楽しみにしていたのだから。やっぱり、落ち込むことはおかしくない(はず)。
ささやかなお祭りが好きなのは、つまるところ懐かしいからなのだと思う。自分のこうふくな子ども時代を思い出して、その余韻に浸りたい。いま、楽しそうな子どもや学生たちを見て、しみじみ頷きたい。みんなが楽しそうなことが、何よりうれしい。仕方ないにせよ、突然の雨によろこびがかき消されてしまって、それが心からかなしい。行楽と言えど、ディズニーランドじゃだめなのだ。USJも情緒が皆無。ささやかさにこそ尊さが宿って、わたしをふるわせるのだから。
「君があのお祭りをあの場にいた誰よりも楽しみにしてたってことはわかったよ」と夫が言う。そうだよ。わたしの本気をわかってくれよ。みんながうれしいのが、うれしいだけなのに。なんて傲慢かもしれない。みんなうれしいかどうかなんて、ほんとうにはわからない。でも、ぴしっと浴衣を着つけてもらっておめかししている女の子を見ると、胸がいっぱいになる。
「みんなが元気でありますように」と心から思いながら、みんなが実のところ誰を指すのかを保留にしている。でも、あの場ではきっと一瞬でも、みんなうれしかったらいい。みんな楽しかったらいい。そんな単純じゃない。でも同じだけ、こんな単純なことでほんとうにはわたしたちはよろこぶことができるはずだと思う。会えてうれしい、一緒でうれしい、冷たくておいしい。雨がかなしい。足が濡れて、どんどん濡れて諦めて笑ってしまうような、そういう単純さに救われることだってあるはずだ。
わたしだってもう機嫌を持ち直して、夫と子どもと家での夕飯を楽しんでいる。こうして家で飲むビールだって十分おいしい。ママ元気だして、とふたりがお尻を出して踊ってくれた。
まだ今年の夏は始まったばかりだから、ささやかな祭りがきっとたくさんの場所で開かれるだろう。そのたび、きっとわたしは本気でその日を楽しみにする。
元気でいたい元気でいてほしい 眩しい文字にずっと許されつづけていたい
堀静香(ほり・しずか)
1989年神奈川県生まれ。歌人、エッセイスト。「かばん」所属。上智大学文学部哲学科卒。中高国語科非常勤講師。著書にエッセイ集『せいいっぱいの悪口』『がっこうはじごく』(百万年書房)、『わからなくても近くにいてよ』(大和書房)。第一歌集『みじかい曲』(左右社)で第50回現代歌人集会賞を受賞。