2025年07月24日 夕方公開終了

文=堀静香

前回、夫とのお揃いの品はほとんど消滅した、と書いたがひとつだけ生き残っているものがある。一緒に回したガチャガチャのフィギュアで、岡本太郎展にふたりで行ったときのものだ。その日は何度目かのデートで、きっとこの日に付き合うことになるのだろう、という予感があった。予感のうちに、ほとんどうわの空で岡本太郎展を見、最後にガチャガチャを回した。「赤い手」と「青い手」が出た。わ、奇遇ですね。おそろいだ。

いや、「おそろいだ」とはたして口にしたかどうか。思っただけでじっさいには言わなかったような気もする。ちょっと出来過ぎている。ガチャガチャが全部で何種類だったか覚えていないが、おそらく10近くはあるなかの、たまたまそのふたつが出た。赤と青の、手。色もモチーフもなんだかあまりに象徴的というか示唆的というか、これからわたしたちは恋人になるのかどうなのか、もう後戻りはできないような、そんなのいま思えば考えすぎなのだけれど。ただ、「おそろいですね」と口にすれば「いい感じ」に進みつつある自分たちの関係、を自ら口に出すことで後押しするような、そういう気恥ずかしさがあるじゃないか。でも、やっぱりその偶然がうれしかった。はじめてのおそろいだ、と思ったのは事実だ。
以降、それぞれの家に長いこと飾ってあったのを、結婚して同居を始めてからは並べて置いている。「青い手」の台座はどこかへやってしまったが、それでもこうしてなくさずにいるのだから、なんだかんだわたしはこのふたつの手を、大事にしている。

もちろんちゃんと名前があって、調べると「呼ぶ赤い手・青い手」という。元は相模原市にある彫刻で、1982年に市が商店街の活性化を目的に岡本太郎に依頼、製作されたものらしい。なるほど、「呼ぶ」というのは安易な想像ながら、客を呼ぶということなのだろう。スクロールしていくと、「岡本太郎の像、認知5割」というタウンニュースの記事が出てきた。なんというか住民間のぞんざいな、というよりほとんど生活に溶け込んで背景化されたあの派手なふたつの手のことを思うと、ちょっとおかしい。
メルカリではどうやら一体3000円近くで売れているものもあって、もちろん売るつもりはないが、気は勝手に逸る。十数年前のものとはいえ、ガチャガチャなのにそんな高値がつくのか。これがふたつセットとなれば、よりいい値がつくことは間違いない。なんとか家の中からひとつ行方不明の台座を探してきれいに磨いて……と一応想像はする。

そもそもあの日、というのは2011年3月8日、岡本太郎展(正確には生誕100年岡本太郎展)に行ったのはまったくの思いつきで、何よりお互い別に岡本太郎が好きなわけではない。ただ、ちょうどその日から始まるという展示をどちらかが知って、それ以上の案もなく採用された。絵も彫刻も多くあったはずだが、記憶はない。「座られることを拒否する椅子」というのがあったことだけ、なんとなく覚えている。(と、これも調べ直すと正しくは「坐ることを拒否する椅子」だった)。
曇天の3月はまだまだ寒く、あの頃気に入って着ていたピーコートのポケットのなかで、この手のフィギュアを触っていたのか、その手の冷たい感触を思い出せるような、それさえでっちあげた記憶かもしれない。まだ付き合ってはいないのだから、きっとふたり、手は繋いでいない。美術展のあった竹橋は皇居も近く、なんだか空はぽっかりとしていた。坂道が多く、その後たくさん歩いて、行き着いた飯田橋で飲んだ。予想通り付き合うことになって、まあ結果いまがある。もしも何かのすれ違いであの日付き合うことにならなければ、あるいはすぐに別れてしまえば、このフィギュアも岡本太郎も、わたしにも相手にも過ぎ去って忘れられるようなひとつになっただろう。

その数日後に東日本大震災があったこと、いまでも、もしデートした日があの日でなく、数日先を予定していたら、きっとそれどころじゃなかっただろうと思う。なんとなく予定は延びて、結果すれ違っていたかもしれない。当時、新聞もテレビもネットも、見れば見るほどあらゆることが不安で心配で何もわからず、けれどそういう不安を共有して、メールをこまめにやりとりできたことは、少なからずお互い支えになっていった。あたたかい日も、晴れの日もあったはずなのに、あの曇りの竹橋を引きずるように、毎日寒く、低い空はつねに曇っていたような気がする。

この春、初めて実物の太陽の塔を見た。家族で大阪へ旅行して、一番の目的は子どもがいま熱を入れているジンベイザメを見に海遊館に行くことだったが、翌日足を伸ばして万博記念公園に行った。太陽の塔は思ったよりも大きく、大きければ大きいことが、またその分存在の異様さを増しているようだった。異様なままここに在りつづけている。神戸出身の父も、当時の万博に行ったと言っていた。子どもの父も、きっと同じようにこの塔を見上げた。
50年以上後の現在も、塔内見学は大変な人気で、チケットもなんとかぎりぎりで入手した。内部の撮影は基本禁止(別途料金を支払った上で、専用のケースに入れて撮影するらしい)、子どもは入るや異様な雰囲気を怖がっていた。生命の歴史を思わせるアートがらせん状につづいて、ひとつずつもちろん面白くはあったが、やはり外に出て遠くから見る太陽の塔が好きだなと思った。多くの観光客と同じように、競うように20センチ弱の太陽の塔フィギュアを買って帰った。

プラレールタウンの隅にそっと置くソフトビニール太陽の塔

堀静香(ほり・しずか)

1989年神奈川県生まれ。歌人、エッセイスト。「かばん」所属。上智大学文学部哲学科卒。中高国語科非常勤講師。著書にエッセイ集『せいいっぱいの悪口』『がっこうはじごく』(百万年書房)、『わからなくても近くにいてよ』(大和書房)。第一歌集『みじかい曲』(左右社)で第50回現代歌人集会賞を受賞。