2025年06月26日 夕方公開終了
文=堀静香
作家の乗代雄介さん主催の「風景を綴る 写生文ワークショップ」に参加した。
今回が第3期ということで、前回の受講生の文章をまとめた『風景を綴る』(おかやま旅筆会)というZINEが面白く、思い切って応募した(倍以上の応募があったらしく、参加できて幸運だった)。
エッセイのなかで気まぐれに情景描写をすることはあっても、気まぐれゆえにどうも腰が入らない。短歌の講座に通ったことはあるが、そういえば文章は習ったことがない。書きつづければきっと上達すると信じつつ、実感することは難しい。それでいて同時に自己模倣に陥るような、何か風穴というか、新しい技術を身につけたい。写生がそのひとつになればいい。そしていつか、小説を書いてみたい。そういう気持ちでこの日を心待ちにしていた。
開催地の岡山へは、この春「晴れの国 短歌の午後」というイベントで訪れたばかり。ほんとうに、「晴れの国」というだけあって今日もこんな気持ちのいい晴天、来るたびにいつだって岡山は晴れている。行きの新幹線では、山口からたった一時間ということもあり、自由席の号車に並んだ。早めに着いたもののすでに行列で、その行列を尻目に隣の指定席号車側(ほぼ列なし)から乗り込んだ数人が自由席にしれっと座っており、こちらは15分も前から自由席号車前できちんと並んでいたのに座れず、なんというずるさ、とムッとしたまま岡山に着いたのだったけれど(こんなことに本気で腹を立てる自分の小ささにも苛立ちながら)、あまりの気持ちの良い天気にそんなつまらぬこと、一気にどうでもよくなった。
道すがら、気になっていたパン屋に寄り、会場の県立博物館前のベンチに腰かけて食べた。後楽園へ行く人、もしかしたらワークショップの参加者かもという人、大きなプードル、プードルを連れた二人組。食べ終えてからもしばらく木陰で往来を眺めて、会場に入った。
写真など拝見したことはあったが、初めてお会いする乗代雄介さんはとても気さくで、何より親しい友人の夫氏に非常によく似ており、勝手に親近感を覚えるのだった。しかも参加者のなかに知り合いが何人もいて偶然に驚きつつ、自己紹介を聞きながら、それぞれ全国から写生文を書きにやってきているのだなあと勝手にしみじみした。
緊張と期待とそれぞれへの関心のまなざしと、34名というほどよい参加人数もあってか、どうも新学期のクラスっぽさというのか、一年を通して全3回の講座ではあるけれど、自分もこの集団のなかのひとりなんだな、などとすぐに俯瞰しようとする。また、前回参加の方がOB、OGとしてサポートしてくれるというのも、このワークショップへの愛というのか、場のあたたかさを感じた。
早速外へ出て、岡山城を見上げる旭川のほとりで写生文を書く。各々好きな位置を見つけ、わたしは適当に腰を下ろしたところが何やら両脇からぼうぼう草の茂って埋もれるような、けれど一度座ってから場所を変えるのも忍びない。乗代さんからいただいたB6版のノートと、何やら特殊な鉛筆で、まずはじっくり岡山城を捉え、そこから好きに目を移してゆく。その視点の運動によってつくられる時間が風景なのだ、と先ほどの講義で学んだ。乗代さんいわく、「好い、と感じる景色に目移りしている時、人は風景を生んでいる」と。ふだんスマホにメモするばかりなので、こうして鉛筆で紙に書きつけるというのがそもそも新鮮だ。
情景描写といっても、自転車で通りかかる銀杏の様子だとか、せいぜい数分見上げてさっと書き留めるということくらいしかしたことがない。考えてみれば、小一時間にわたって屋外で文章を写生するというのは初めてで、そういえば小学生の頃は毎年、桜木町の山下公園で写生大会があった。家族で弁当を持参して、わたしがやりたがったのか親が誘導したのか、もちろん絵を描くことは好きだったけれど、風景画はどうにもつまらない。遠くに見える観覧車ではなく、なぜか目の前の花壇を描いて、けれどどうも納得はいかず、水彩画のさびしい感じのする絵だった。毎年同じ調子の絵を描いた。
そんなことを思い出しながら、いまは夢中で目線の移る先を捉えて書く。それがこんなに楽しい。そばを通った乗代さんが「いい位置に収まってますね。えのきですね」と声をかけてくれて、わたしの両脇を囲む緑は「エノキグサ」なのだという。花でも鳥でも、知らなかったその名を、知った体で書いてよい。理想の書き手を装う、書けば知っていることになる、と乗代さんは言う。ここに座ってから長く書き連ねた城の描写の先頭に、「エノキグサの茂みのなかに、身体をねじ込むようにして座った」とつけ足した。なんだか、いい書き出しになった気がする。
帰りの新幹線は拍子抜けするくらいに空いていた。ひとつ空けて隣り合った初老の男性が、スーツケースから画板を取り出し、難しい顔をしながら眺めている。水彩のスケッチだ。図らずも、と思う。(わたしもさっき写生文を書いてきました)と勝手に前のめりな気分になりつつ、缶チューハイをちびちび飲む。ボールペンで細かい作業をしているらしく、水彩画と言っても、もしかすると色鉛筆だとかペンだとか、こうしてさまざま駆使しているのかもしれない。
文章は、その瞬間目に映るさまをつぶさに書けば書くほど、時間が止まるような、流れる時を引きのばそうとするけれど、絵はどうだろう。スケッチされた空の色は、雲の形は、ある瞬間を切り取るのだろうか。いま丁寧に描き足される線、色。ここにある言葉も色も、ある時間をつかまえて、そこに留め置こうとする。置きながら、「いま」が更新されて、絵や文に重ねられていく。ふいに無意識の色や言葉が浮かぶ。ふしぎな営みだ。
「なんかいまひとつやなあ」と男性がつぶやいて、長いトンネルのなか、窓に反射するそのスケッチを束の間、盗み見た。草原に、半端に切られた葉のない太い幹がある。生き物はいない。夕焼けにも朝焼けにも見える桃色の空が広がっていた。
青鷺、とあなたが指してくれた日の川のひかりを覚えていたい/笠木拓
堀静香(ほり・しずか)
1989年神奈川県生まれ。歌人、エッセイスト。「かばん」所属。上智大学文学部哲学科卒。中高国語科非常勤講師。著書にエッセイ集『せいいっぱいの悪口』『がっこうはじごく』(百万年書房)、『わからなくても近くにいてよ』(大和書房)。第一歌集『みじかい曲』(左右社)で第50回現代歌人集会賞を受賞。