2025年06月12日 夕方公開終了

文=堀静香

「いつか死ぬオムライス」については、いつかどこかのタイミングで書かなければと思っていた。といって、そんな見得を切るようなことでもないのだけれど、わたしはオムライスを自分で作って食べるとき、ケチャップで「いつか死ぬ」と書くことにしている。

バリエーションはいくつかあって、「みんな死ぬ」「どうせ死ぬ」「メメント・モリ」など文言はそのときの気分による。写真に収めてしばらく眺めて、あとは黙々と食べる。そういうことを、続けている。
なんじゃそりゃ、と思うだろう。わたしも思う。いままで出した本の、日記のなかでなんとなしにこの習慣について書いたところ、「なんですかそれ」とつっこまれたことがあった。資本主義はわたしたちの死をずっと隠蔽してきたから、それにささやかながら抵抗してるんです。と説明したこともあるが、当然うまく伝わらなかった。

わたしはずっと、JALの早割を憎んでいる。早割は、30日前、60日前と、とにかく前倒しに予約すればするほど、お得である。たしかに、一年先であれこの日に沖縄に行こう、と決めてしまえばよいといえばそうだ。けれど基本的に航空券の予約は簡単には取り消せないし、そんな先のことなどわからない。そう、先のことなど誰にもわからない。そこには、自分や親しい人の死という可能性のことが、いつだって含まれている。わたしだって悲観的に毎日死を意識するわけじゃない。もちろん旅行に行く。楽しい予定を立てる。
早割が厭わしいのは、わたしたちの死を朗らかに隠して、まるでないもののようにふるまって、代わりに購買欲を煽ってくるからだ。それで、わたしはずっとJALの早割が憎い。

この過剰に守られた暮らしのなかで、とっくに冷めきった湯から、もはや誰もあがれなくなってしまった生活のなかで、だから戒めとして、わたしはオムライスに「いつか死ぬ」と書く。別になんだっていいが、わたしにはオムライスが手っ取り早い。
オムライスを食べるのは、たいていひとりのときだ。子どもはなぜだか好まず、そもそも3人分作るとなると、大きなフライパンにケチャップライスを拵えて、その横でひとりずつの卵を焼いて被せなければならず、けっこうな手間だ(しかも子どもが喜ぶでもない)。ふわとろ派、固焼き派、などそれぞれ好みも分かれる。
それでもたまに食べたくなって、ひとり分を、ひとりの昼に作ることがある。弁当用に朝炊いた米の残りをウインナーと玉ねぎと炒めてケチャップ、コンソメで味付けして皿に盛っておき、さっと洗った同じフライパンで卵を焼いて、ケチャップライスを乗せ、皿を被せてほっとフライパンをひっくり返す。まん丸のうす焼き卵のオムライスは、こうしてあっという間にできあがる(文字を書くには、できるだけオムライスの面積は広いほうがいい)。

そして席について、わたしはケチャップを握る。「みんな死ぬ」と書くと、「みんな死ね」に見えて、剣呑だ。みんな死ねとは思っていない。卵の黄色に赤い文字はあかるく映えて、なんでこんな暗い言葉をひとりの昼に、わたしはいったい何をしているのだろう。書けば満足して、あとは淡々と食べる。ケチャップはたいてい途中で足す。
オムライスが好きなのは、実家でよく作ってもらったからかもしれない。
中学生の頃、定期テストの日など、午前中で帰る日にはたいてい母が「昼何食べたい?」と訊いてくれた。そういうときは決まって焼きそばか、オムライスを所望した。帰るや、母は待ち構えていたかのように大盛りのオムライスをどん、と出してくれた。いま思えば軽く二人前はありそうな、ふだんは野菜炒めなんかを盛る大皿いっぱいのオムライスに、そのときから何やら絵だとか文字だとか、遊んで描いて、まだ小さかった妹に見せてやったのか、そういうことで満足してからわっと一息で食べた。午後には塾がある。中学校別のテスト対策授業というのがあって、いつもより時間も早い。同じ塾の友だちが、もうすぐマンションの前まで迎えに来る。そうしてほとんど飲み込むようにして食べたオムライスがなんだか格別、おいしかった。

いまは急ぐことなんてひとつもなく、けれどどうしても、癖なのか一瞬のうちに食べ終えてしまう。冷たい麦茶を煽って、ふと顔を上げると今日もベランダには朝干した洗濯物が気持ちよさそうに風になびいている。うちの目の前の小学校からは、運動会の練習の様子が聞こえてきて、先生はさっきからけっこう怒っている。たしか先週末が本番だったはずだけれど、雨で延期になったようだ。まだまだ練習不足なのか、くり返し音楽が流れ続ける。嵐、星野源、ミセス、嵐、嵐。窓を閉めてもガンガンに聞こえる距離で、いまの季節は風も気持ちいのでいっそ開けている。ピッピッ、といういささか険しい笛に合わせて流れる星野源。「恋」はちょうど、自分の結婚が決まった頃に流行っていて、披露宴でも流した。しみじみ聞いていたら、ブツッと途切れて、また先生が怒鳴る。嵐もそうだけど、どうもちょっと前のJ-popばかりで、選曲は先生たちの趣味によるのかもしれない。
昼にオムライスを食べると、決まってすぐに眠くなる。眠くなる前に皿を洗っておかないと。ケチャップがついたままの皿は、時間が経つとこびりついてとても、洗いにくい。

死ぬまでの立ち往生に食べかけのケチャップライスがまとう粘り気

堀静香(ほり・しずか)

1989年神奈川県生まれ。歌人、エッセイスト。「かばん」所属。上智大学文学部哲学科卒。中高国語科非常勤講師。著書にエッセイ集『せいいっぱいの悪口』『がっこうはじごく』(百万年書房)、『わからなくても近くにいてよ』(大和書房)。第一歌集『みじかい曲』(左右社)で第50回現代歌人集会賞を受賞。