2025年06月05日 夕方公開終了

文=堀静香

それで、蟹のことである。
というのもうちにはいま蟹がいる。前回そう書いたのだったが、あれからもなんとか死なずにいる。しかも、二匹に増えた。ひとりじゃかわいそうだ、とか夫が言って新たに捕ってきたのだった。
そもそも一匹目は、ゴールデンウィーク中に近くのショッピングモールの催しで釣ってきたものだった。「沢蟹釣り」はキャッチアンドリリース方式であれば100円、持ち帰るなら別途100円、ということでこちらとしては速やかに返してやりたいところ、子どもはもちろん「連れて帰る」と即答して、となればその意を汲まざるを得ない。
 
一応、飼い方ガイドなるものが示されてはいる。ひとまず同じモール内のダイソーで300円の水槽を買って、(他にも釣ったばかりの蟹の容器を抱えた親子がいて、同じ思考で同じ場にいることがおかしかった)これでとりあえずなんとかなるだろう、と構えていたら「でも砂利がないよ」と夫が言う。曰く、沢蟹には陸地が必要らしい。
そんなのなくてもいいじゃん、と思いつつ、張り切るふたりの後について、都合のいいことにモールを出たすぐそこに川がある。子どもは張り切ってサンダルを脱ぎ、ズボンも脱ぎパンツ一丁で川を覗き込む。魚がいる! とさっきダイソーで買った網を手に、蟹もいるんだから魚なんて飼えないよ、といなしながら、ふたりでほいほい釣っては蟹の水槽へ放り込む。釣れば子どもはなんでも連れて帰りたがる。あーあー、と思いながら盛り上がるふたりを結局止められず、砂利どころか魚数匹と貝も持ち帰ってきた。
水道水のままではだめで、カルキ抜きのために水を汲み置いて陽にあてておかなければならない。沢蟹はだいたい5センチほどで手足が赤く、見ている分にはかわいらしい。「かにかま列車」と子どもが早速名づけたが、へんてこな名前は根づかない。結局つけた本人もわたしたちも「かに」と呼んでいる。蟹が一匹いるだけで物珍しく、たしかに新たに名づける必要もなく、蟹は蟹である。
長生きさせるには、とにかく水をきれいに保つことだという。水質を保つため、餌は一日おきでいいのだとか。焼き海苔をちぎって目の前に落としてやると、すぐにハサミを器用に使って口へ取り込んでいく。雑食と聞いてキャベツ、米粒なども与えてみたが、それらは見向きもせず、かつお節は好きらしかった。小さな煮干しも食いつく。海のものしか食べないんだよ、この蟹は。そう三人で言い合った。
 
翌日、魚が苦しそうだと夫が言う。水面に近づいて口をパクパクやるのは酸欠の証らしい。蟹はかわらず。それで、魚は逃がしてやることにした。夫は初め渋って、もう愛着が湧いてしまった、と言うが一日でそんなわけがない。なんとか促して家の前の細い川へ放す。保護色の小さな魚はすぐに見えなくなって、ちゃんと生きていけるのかどうか、別の川から別の川へむやみに移すなど、勝手なことをしたなあと思う。

 さてこれで落ち着いたかと思いきや、夫が静かな水槽をじっと見つめ、「蟹、一匹だけじゃかわいそうだよ」と言う。それで、連休最終日の雨のなか、子どもとふたりで新たな蟹探しに出かけていった。なんというか、夫にはこういうところがある。変に入れ込むというか、こだわるというか、世話好き、お節介というのか。雨降ってるよ。そう言っても聞かないのはわかっている。
そんな勢いで家を出て、近くに蟹がいる川なんてあるのか、あったとして簡単には捕まえられないだろうし、きっと手ぶらで帰るのだろうと踏んでいたら、LINEで蟹を持った子どもの写真が送られてくる。蟹だ。今度は黒い蟹だ。
本当に捕まえるとは思わなかった、と言うと帰ってきたふたりは得意そうだった。先住の蟹とは違って、モクズ蟹というらしい。大きさはだいたい沢蟹と同じくらいで、水槽に入れてしばらくは様子を見ていたが、喧嘩するでもなく、距離を保って落ち着いている。夫はやっと、満足そうだ。
 
黒い蟹は、取り立てて名前をつけられないままだ。赤いほう、黒いほうと雑に呼び分けられながら、いまのところ、どちらも生きている。
日中ひとりで家にいると、たまにかさ、と音がして蟹なのか貝なのか、そういう生き物の気配を感じるのは、なんだか悪くない。小さな生き物を飼うというのは、そういう気配とともにある、ということなのかもしれない。蟹の水槽はハムスター小屋の隣にあって、ハムスターが水を飲む音、蟹のかすかな動き、案外色んな音がする。水槽を覗いてみると、赤いほうはすぐにわかるが、黒いほうは石に紛れて見つからない。沢蟹の、目がふたつ水面から出て、何を見ているのかいないのか、たまに泡がふつふつと出る。ささやかだ。でも生きている。蟹は、このまま何年も生きればいまより大きくなるんだろうか。
そういえば、昔実家で夜店で釣った金魚を随分長いこと、飼った。餌をどんどん食べて、ずんずん大きくなって、フナのようだった。死んだときには悲しんで、あれはどこに埋めたのだったか。触れて愛でるようなことのない小さな生き物の、けれど存在感というものはたしかにあるのだ。
 
 あくる朝十八になる玄関の金魚はふっと縦に立ちたり/藤本玲未

堀静香(ほり・しずか)

1989年神奈川県生まれ。歌人、エッセイスト。「かばん」所属。上智大学文学部哲学科卒。中高国語科非常勤講師。著書にエッセイ集『せいいっぱいの悪口』『がっこうはじごく』(百万年書房)、『わからなくても近くにいてよ』(大和書房)。第一歌集『みじかい曲』(左右社)で第50回現代歌人集会賞を受賞。