2025年03月06日 夕方公開終了
文=堀静香
どうやら今季最大の寒波らしく、今週はここ山口も連日雪が降っている。
冬のはじまりの、あのやわらかな寒さを思い出せないほど、冬はそう、年が明けてからこそが本番で、これが本番これが冬、と思いながら毎朝更新される寒さにおののきつつ、極まればこうして雪も降るのだった。それでも毎年たいてい一日二日で、連日連夜というのは珍しい。
今日も朝から降っては止んでの繰り返しで、いまも小粒の雪が舞っている。どんなに吹雪くようでも降る雪に音はなく、けれど迷いなく降りてくる雨とは違い、不規則にふらふらと宙を舞って、その動きが不思議で飽きずに眺めてしまう。すぐそばの小学校からはとき折り歓声が聞こえて、多分子どもたちが全力で雪遊びをしているのだろう。
幼稚園から小2まで札幌に住んでいた。ということもあり、雪の記憶が自分の物心ついた頃と分かちがたく結びついている。あかるくてまぶしくて目をずっと開けていられない、晴れた日の一面の雪景色。マンションの前に自分の背丈と同じくらいの雪だるまを苦労して作り、けれど翌日犬のおしっこが引っかけられていた。道の傍らに山になって積み上げられた雪は、排気ガスに汚れてゴミのようだった。くすんだピンクのスキーウェア、毛糸の帽子、長靴というスタイルで、足元はスノーカバーを着けても必ず隙間から雪が入り込んでどうにも冷たい。
雪国の子どもの移動手段はもっぱらソリで、ちょっとそこまでの外出時にはみな大人にソリを引いてもらっていた。うちのはたしか赤いので、わたしはソリを引いてもらうのがとても好きだった。もう乗らなくなったベビーカーの心地よさに似て、父や母が代わる代わる運んでくれる。自分が乗る以外にも、車を持たないわが家の荷台としてフル活用の末、ついに底に穴が空いた記憶がある。
7つ下の妹が生まれたのも北海道に暮らしたその時期で、神戸から手伝いに来ていた祖母と雪道を歩いて見事に転んで大笑いしたことや、厚く踏みしめられた歩道の雪の硬さを思い出しては、懐かしくてたまらなくなる。
だからわたしは、雪が降るとうれしくなってむしゃむしゃ食べる。
降ったばかりのやわらかい雪も、翌朝の少し固まった雪もいい。ベランダの手摺に数センチ積もったのや、車の屋根にこんもり乗ったのを素手でつかんで食べる。真顔で雪をほお張るわたしを見て「雪って言っても雨水なんだから普通に汚いよ」と夫は言うが、そんなのかまわない。何か言い返す前に、すかさず横から4歳の子どもが「こんなに白くてきれいでつめたくておいしいんだから、いいよねぇ」と加勢する。そうだよ、むしろ食べなきゃもったいないよ、とふたりで夫を責める。見せつけるようにむしゃむしゃ食べる。そういえば、北海道には雪と同じだけつららがあった。自分の背丈ほどの長さの太くて立派なものから、さっき滴ったようなささやかなものまで、道すがら見つければ、適当な大きさのをポキっともいで齧っていた。あれは紛れもなく雪国の光景で、山口のにわかな積雪につららは発生しない。
昨日、雪のなか保育園の迎えに行った帰り道、ふいに子どもが「ママ、おしっこしたいんだけど」とつぶやく。そういうことはままあって、どうしても我慢できなければ自転車を停めて、こっそり茂みの奥でさせることもあるが、さすがに極寒の外気に尻をさらす訳にもいかない。今日はごめん、なんとかもうちょい我慢して! と一気に自転車のスピードを上げ、するとどんどん雪が自分めがけて飛びこんでくる。マフラーもコートも一瞬で雪まみれになり、顔面いっぱいに雪を受け止めて、口のなかにも雪がどんどん入る。後ろで子どもが「雪が! おしっこが!」ときゃあきゃあ言い、降る雪の粒も気づけばさっきよりも大きく粗い。手はかじかんで、耳はちぎれそうなほど痛い。あとちょっとだから、とほとんど叫びながら、どんどん自転車を漕いで、勝手に口に次々入ってくる雪の粒の大きさ、冷たさ、掬って食べるよりもちゃんと雪だ、いま降る雪だ、窓から眺めるよりも真っ直ぐ、わたしや子どもや家の屋根や塀めがけて刺すように降っている。
そういえば子どもが生まれてすぐの頃にも、大雪が降ったことがあった。夫に見守りを任せ、ひとりで長靴を履いて外に出た。まだだれも歩いていない、車も通らない雪道をずんずん踏み締めながら、毎日寝不足でしんどくて、でもいまわたしはひとりで、雪が降ればあたりの景色はいつもとまったく様変わりして、何より夜なのにこんなにもあかるくて、それだけで全身を貫くようなよろこびを感じることが、なんだかおかしかった。めちゃくちゃにそこらじゅう自分の足跡をつけまくって、雪を蹴散らして、生垣の雪を掬って食べて、暴れ回った後、翌朝にはさらに降り積もって、すべてがなかったことのようにうつくしく均されていた。
ぜったいに目から鱗は落ちないし、雪の日だって目をつぶらない
堀静香(ほり・しずか)
1989年神奈川県生まれ。歌人、エッセイスト。「かばん」所属。上智大学文学部哲学科卒。中高国語科非常勤講師。著書にエッセイ集『せいいっぱいの悪口』『がっこうはじごく』(百万年書房)、『わからなくても近くにいてよ』(大和書房)。第一歌集『みじかい曲』(左右社)で第50回現代歌人集会賞を受賞。