2025年09月11日 夕方公開終了

文=堀静香

去年に増して、子どもを連れて海やプールに出かける夏である。
比較的近くに海があって、子の通う保育園では毎日のようにバスで海に行っている。他の園であれば年に一度の遠足規模のイベントを毎日やってもらっているのだから、ほんとうに贅沢なことだ。この園に通えば、こうして夏の間は晴れていれば海に行くので自然に泳げるようになる、と入園前から聞いていて、そりゃいいなと思っていたのだった。わたしは泳げないので、どうにか子どもは泳ぎを早いうちに身につけてほしい、親心としてそんなふうに思っていた。

泳げない、すなわち「カナヅチ」であることは長年のコンプレックスというより、もうすっかり泳げない自分を受け入れて、ただ泳げるひとへの憧れをいまも持ちつづけている、というほうがしっくりくる。
「わたし泳げないんですよ」と話の流れで告げるときには(そういう機会もあまりないけれど)、なんなら泳げないほうが珍しいような、変な誇らしさまでいまでは湧いて、しみじみとわたしは泳げない。泳げないというのはどういう状態なのかといえば、具体的には息継ぎができない。息継ぎをしようとするとなんというか「ぐちゃぐちゃ」になり静かに沈んでゆく。呼吸のことさえ考えなければ、どこまでも泳げるのに。中学生のとき、水泳のテストで25m足をつけずに泳ぎ切らねばならず、気合いのみで息を止めて泳ぎ切った。泳ぎながら遠くで「おい、顔上げなくて平気なのか!」と先生の声がした。気味が悪かったかもしれない。

自分がそんなふうだから、夫がとてもきれいに泳ぐのを見るのは楽しい、というかうらやましい。平泳ぎも背泳ぎもクロールも、バタフライまでこなして、泳げる人は水面をやわらかな布を裁ってゆくように切り開いて、切り開かれてゆく水がつくる波紋がうつくしい。泳げるってどんな感じなのか。どこまでも水を進んでいけるって、きっと爽快なんだろう。と、泳ぐ夫を見るたびに思う。いわく、スイミングスクールの上級コースがきつくて辞めたらしいので、やっぱりしかるべき努力のうえにこの泳ぎがあるんだなあと思う。わたしも水泳に通えばこんなふうに泳げるようになったのだろうか。
小、中学と仲の良かった友だちもとても泳ぎが上手かった。たしかクラブチームか何かに所属していたはずだったが、その子が授業中にお手本として見せてくれた泳ぎのことをよく覚えている。大きく息を吸って深く潜り、ぐん、と大きな蹴伸びをしたかと思うとロケットのように、というのは安易かもしれないけれどそれこそイルカのように、両手両足をぴたっと揃えて真っ直ぐに進み、それでもう気づけばプールの半分ほど、あとは手足をなめらかに波打たせてあっという間に25mを泳ぎ切っていた。それこそ息継ぎもなしに。泳げる人にとっての水は、やっぱりとてもやわらかいのだろうと思う。

そういうわけで、いま4歳の子どもにも泳ぐ術を身につけさせようと、今年も園での水遊びが始まる頃合いで近くのスイミングスクールに見学に行ったのだったが、子はまったく興味を示さなかった。「みんな大変そうだネ」と言ってアイスの自販機ばかりに気を取られていた(そして買わされた)。

まあそんなに焦らなくてもいいか、と思っていたが最近、いつの間にか潜ったり蹴伸びをしたり、子はめきめき泳ぎのコツというかどうやらその端緒を掴みかけているらしい。園から帰ってくると「今日も潜ったよ」「泳いだよ」と言う。少し前までは顔に水をつけるのもせいいっぱいだったのだから大したもんだ。
それで、ここぞと休みの日にはプールに通っている。たしかに数メートルであればすいーっと潜水できている。泳げるのは本人も楽しいのか、止めない限り飽きずに練習しようとするので子どもってすごいなあと素直に感心する。元来の世話好きかつ泳げる夫はコーチ役を買って出て、この調子であれば次の夏には泳げるように(つまり息継ぎもできるように)なっているのかもしれない。

夫の提案で、3人一斉にプールに潜ってみる、という遊びをした。髪や顔が濡れるのが嫌で、そういえば大人になってちゃんと潜ったり、泳いだりはしていない(夫の熱血指導を尻目に、隙あらばウォーキングコースを回遊している)。「3、2、1、せーの」で潜って、水中で目を合わせて手を振った子の真剣な顔と、どんどん吐き出される泡、ふたりとも水中で目を開けられてすごい、(わたしはひとりズルをしてゴーグルをつけた)。手を振り合って、髪は水に揺れて、なんだか夢みたいだなと思う。ずっと一緒に暮らすうち、こうして水のなかで目を合わせる瞬間もある。
久しぶりに潜ったプールの水は思ったよりも濁っていなくて、プールはつくづく水色だ。小学校の水泳で先生がどんどん投げ入れた色とりどりの石を一斉に潜って拾って、あれも夢みたいに楽しかった。子どもたちが臆せずどんどん潜る。逆立ちのようになる。濁った水色、みんなの棒みたいな脚、そういうもののなかで手を伸ばして宝石のひとつを摑もうとした、あのときに戻れるような気がしたけれど、わたしは大人で、息も全然つづかない。顔を上げれば髪はぐちゃぐちゃに張りついて、みんなうみぼうずみたいな顔で笑っている。

 水の中で開けると痛い目をもってあなたを見下ろしている真昼/山崎聡子

堀静香(ほり・しずか)

1989年神奈川県生まれ。歌人、エッセイスト。「かばん」所属。上智大学文学部哲学科卒。中高国語科非常勤講師。著書にエッセイ集『せいいっぱいの悪口』『がっこうはじごく』(百万年書房)、『わからなくても近くにいてよ』(大和書房)。第一歌集『みじかい曲』(左右社)で第50回現代歌人集会賞を受賞。