2023年11月12日 夕方公開終了
向坂くじら(さきさか・くじら)
迷っていた。迷いながらも同時に、そのあまりのささいさに、自分自身で引いていた。そのくらいのことさっさと決めてしまえばいいのに、と、思えてしかたなかった。しかしなお、やっぱり、迷っていた。
教室の、机の位置を変えるかどうか。
運営している国語教室ことぱ舎は小さな教室で、ふたり座れる長机が二台、全部で四席、わたしの座る椅子を除いて定員は各コマ三名。部屋の四方のうち、西側の壁は本棚で、北側の壁は引き戸式のクローゼットで埋まっている。クローゼットで、といいつつ、中は本棚に改造してあって、実質二面が本棚である。そのときは、二台の長机を、余った二面それぞれの壁に向けて設置してあった。すると、わたしが座る隣の席と、もうひとつの机の二席が、生徒が座る席ということになる。三人入ったときには、わたしからはひとりの横顔と、ふたりの背中が見えるというわけだ。
開室当初、それなりに悩んで決めた配置だった。机二台を向かい合わせにしてくっつけ、ダイニングテーブルのように真ん中に置いてみたり、二台とも南向きにして講義式の教室のようにしてみたり、いろいろ試してはみたけれど、どれもしっくり来ない。ことぱ舎は自学自習形式の塾で、机を囲んでおしゃべりすることもないし、わたしが全員に向けて講義をすることもない。
それで、二台とも壁に向ける形に落ち着いていた。一応わたしの席もあるとはいえ、基本はうろうろしていれば、離れている方の席のようすも見ることができる。「自学自習形式」のモデルになったのはわたしの卒業した塾で、そこではまさにみんなひとりで勉強し、先生がときどきようすを見にきたり、わからないところがあれば生徒の方から質問をしにいったりして、それで指導は成立していた。おしゃべりも講義も嫌いだったわたし自身、教える側に回ってなお、その形式が好きなのだった。
しばらくはそれでうまく行っていた。そもそも開塾したばかりで、一コマにひとりしか生徒がいないことが多かったし、そのうち二人、三人と増えたとしても、サポートする場面の多い中学年は隣に、高学年や中学生はもうひとつの机に、と分けて、それで問題は起きなかった。
ところが様相が変わったのは、もともと通っていた四年生の男の子のお兄ちゃんが入塾してきたときだった。弟のほうはもともと好奇心旺盛で、教室に置いてある詩や短歌の本をおもしろがって読み、自分でも短歌をしょっちゅう作るようになっていた。いっぽう兄は六年生、国語が苦手で、問題を解けるようになりたいという。わたしとしては、どちらもうれしい。そういうふたりに一緒に通ってもらえるのがこの教室のいいところである、とさえ思っていた。
しかし、そううまくはいかない。兄が入ってきたとたん、弟がまったく勉強に集中できなくなってしまった。わたしの隣に弟が、離れた席に兄が座っていて、それなりに距離はとっている。それなのにすぐ兄に話しかけてしまうし、わたしが兄に教えているあいだも耳をそばだてていて、こちらの会話に入ってきたがる。いちばん困ったのが、わたしが兄のようすを見るためにしばらく席を立っていると、弟もいっしょにこちらに来てしまうことだった。
「ちょっとちょっと、きみ問題解いてる途中じゃないんですか!?」と元の席まで送り返しても、すでに気もそぞろになっていて、あまり意味をなさない。そのうち自分の席についていたとしても、ちょっと目を離すと苦手な読解問題をさぼって、勝手に短歌を量産するようになった。
その状況が、一か月ほど続いた。扱いに困るのが、べつに彼はやる気をなくしていたり、こちらを欺いてさぼろうとしていたりするわけではないことで、読解はさぼるけれど比較的好きな文法はやるし、漢字や語義の暗記も確認テストで間違えると叫ぶぐらい真剣だし、唯一わたしの目を盗んでやることが短歌の創作である。国語教室としては、ぜんぜん、いいのではないか、という気もする。
しかし兄のことを考えると、そういうわけにもいかない。くりかえし話しかけられるとやはり集中は途切れてしまうもので、本人は楽しそうだし、弟のこの暴れぶりにも慣れているらしいけれど、わたしとしてはくやしい状況が続いた。本来、兄はもっと力をつけていけるはずなのに、このままでは集中を妨げられたまま、やっぱり自分は国語が苦手なんだ、で終わってしまう。また弟のほうにも、短歌や書くことが好きならばなおさら、勉強して新しい言葉を知ることの手ごたえを、もっと感じてほしかった。それから、短歌のクオリティが作り始めたころと比べて若干落ちているのも気になった。はじめは自分にできる表現を一作ごとに開拓していくような意欲に満ちていたのに、だんだん文字数の合わせ方が雑なものが増えてきていた。
それで、机の位置を変えることを思い立った。いま兄が座っている南側の机だけを内がわに向けて、少し離れたL字の形にするのはどうだろう。わたしの席から、左に弟の横顔、右に兄の正面が見えるようにするのだ。そうすれば席を立つことなく、回転椅子を転がす程度でふたりの間を行き来することができる。
完璧な案にも思えたけれど、しかし、いざ変えようと思うと、ものすごく抵抗があった。まず、自分でも意外なことに、ふたりがどう思うかが猛烈に気にかかった。自分たちのいまの勉強態度が悪かったからだ、と反省させてしまうかもしれない。これまではわたしの視界から外れるタイミングがそれぞれあったのをいっぺんになくしてしまっては、監視が始まったような印象を与えるかもしれない。だいたい、兄がこちらを向く形にすることで、かえって兄弟が話しやすくなる環境を作ってしまうかもしれない。いや、それもまだ言い訳にすぎない。わたしはそれ以上に、これは心から情けないことだが、これまでが完璧でなかったと知られるのがいやだった。
なにかを改善するためには、今まであったものを否定しないといけない。机の置き方ひとつを、自分でも小さなことだと思っていながら、そのとき本当に変えたくなかった。自分が持っていた「自学自習式」の理想が崩れるような気がしたし、それがふたりにばれてしまう、と思った。これまで、今まで通りの形で、手を焼きながらもなんとかやってきたことが、変えてしまったら最後、ぜんぶ失敗だったと認めることになってしまうんじゃないか。
そのとき頭に浮かんだのは、ちょうどそのころ読んでいた「100分de名著 オルテガ『大衆の反逆』」のテキストの中にあった、政治学者の中島岳志さんの言葉だった。オルテガの思想がどういう潮流の中にあったのかを位置づけるために、エドマンド・バークが紹介されている。バークは十八世紀のイギリスの政治家で、フランス革命を厳しく批判した。フランス革命の根底にあった啓蒙主義、つまり「人間の理性による設計で世の中を進歩させるという考え方」ではいけない、「理性を超えたものの中に英知があると考えるべき」であるという。
ではどうするのか、というところで、中島さんはいう。
私たちの「現在」は、膨大な過去の蓄積の上に成り立っています。私たちが担うべき改革のための作業は、その過去から相続した歴史的財産に対する「永遠の微調整」なのです。この「微調整」をずっと続けていくというのが、バークの思想のエッセンスであり、保守思想そのものなのです。
ああ、そうかもしれない。これもまた、「永遠の微調整」だろうか。国家の改革の問題に比べたら冗談みたいに小さなことだが、でも、踏み切れなかった。これまで自分のことを、どちらかといえば「革命」のほうにシンパシーを抱く性質である、と思ってきたのが滑稽なほどだ。いざとなれば、こんなことでためらうのだ。結局、机の位置を変えるというアイデアを思いついてから、わたしは三週間、授業三回分も、それを実行できずに過ごした。
きびきびと片付けをする夫を目で追いながら、そのときも、「永遠の微調整」のことを考えていた。
詩が書けなくなればなるほど、いよいよ、詩人は詩人になる。
だんだんと詩が下手になるので、自分はうれしくてたまらない。
と書いたのは山村暮鳥だが、わたしは結婚して三年、自分がだんだんと「夫婦」が下手になっている気がしてならない。そして、もう、まったくうれしいとは思わない。たまったもんじゃない。
夫は掃除が好きで、そして、わたしは致命的に嫌いである。客観的に見たら散らかっている、というのはわかるけれど、しかし散らかりあとにもわたしなりの秩序があって、できるならそれを壊されたくない。読みかけの本の山を夫が手際よく本棚に戻していくたび、わたしの意識の上では、本が一冊ずつ消滅している。とはいえそれぐらいなら、面倒なだけでどうにか対処はできる。厄介なのは、わたしの後ろめたさだ。
掃除が嫌いなくせに、掃除が必要である、ということの正当性には、内心降伏している。それでいて、そのことが自分の暮らしぶりにとって都合が悪いために、できるだけ降伏していないふりをしている。それがわたしである。
本の所在がどうこうと先にも述べたけれど、それはいちおう言ってみているだけの、勝ち筋の見えない反論でしかない。その証拠に、掃除をすると、わたしだって気分がいいのだ。掃除がそこまで悪くないことも、なんなら当の読書のパフォーマンスさえ掃除をした方が上がることも、しっかりわかっているのである。
しかし夫に、
「ね、掃除したほうが気持ちいいでしょ」
と言われると、とっさに首を横に振る。
「いやいや、わたしは散らかってる方が過ごしやすいんだけどね。でもあんまり散らかるとさすがに困るし、衛生もあるもんね!」
苦しいポジショントークを見抜いているのかいないのか、夫は苦笑して、クイックルワイパーのシートを丸めて捨てる。わたしはそれを、ただ眺めている。自分の弱みを隠そうとするあまり、愚かにも行動の選択肢が狭まり、結果「掃除に反対はしないものの、頼まれるまでは傍観に徹する」という態度をとるしかなくなっているのだ。
そして、そのくせ、なんだか胸がつぶれそうになっている。
夫が散らかったものを定位置に戻し、掃除機をかけ、クイックルワイパーをかけるのを見ていると、そのひとつひとつ、自分の悪い行いを糾弾しているように見えてくる。じゃあせめて散らかさなければいいのだが、それはできない。試したけれどだめだった、どうしても、散らかしてしまう。そしてそのことを、本当はとても後ろめたく、心苦しく思っている。
夫がはなからわたしに頼らずひとりで掃除をはじめることも、掃除嫌いなわたしとしてはうれしく、助かる一方で、散らかしているわたしとしては居たたまれない。手際よくゴミを捨て、埃を拭き取る夫の姿に、次はわたしか、と思っている。掃除が「夫 VS 汚れ」というマッチメイクだとしたら、わたしはどう考えても汚れチームだからだ。敵。
何度か、掃除をしている夫を見て、さめざめと泣いた。夫からしてみれば、わたしの散らかしたものを文句もいわずひとりで引き受けているのだから、わたしが急に泣く理由に合点がいかない。それで、そのたびになんとなくギスギスした。ああ、「夫婦」が下手になっていく。後ろめたさが埃のように、知らず知らず積もって。
考えてみれば、掃除もまた、「永遠の微調整」的な要素を持っている。なにもかも抜本的に変えてしまおうとするのではなく、いまある悪い部分を的確に反省して、一歩ずつよくしていく。どうやら、夫によるその的確な反省が、わたしにつらいらしい。否定すべき現状へと向かう矛先が、散らかった部屋を貫通して、まっすぐわたしへ刺さってくるように思えることが。
実は、これまで、自分がここまで改善をおそれる性質だとは、まったく思っていなかった。机の位置にしてもそう、夫の掃除にしてもそう。どちらかというと変化を好んでいるほうだと思っていたのに、「微調整」となると急にびっくりするほど弱腰になる。ようは、派手な変化、いわば「革命」ならばむしろなあなあで受け入れられる一方、自分が日常のなかで確実に間違いを重ねてきたと気づかされるのは怖いのだった。
そう思ったその日のうちに、机の位置を変えた。胸がどきどきしていた。
次の授業で教室に入ってきた兄弟は、「あれ、なんか変わってるー」と言ったくらいで、自然に席についた。そしてなんと、それなりにわたしの思惑通りになった。はじめはまだ机が離れていたころの名残りが残っていたようだったけれど、L字で何週間か過ごすうち、ふしぎとふたりとも、それぞれのすることに集中できるようになってきた。弟は席を立たなくなったし、兄の質問にも答えやすくなった。おかげで兄の勉強は進んだし、弟も短い問題なら解けるようになった。多少はおしゃべりもするとはいえ、かまわないと思える範囲に収まっている。単に兄が入塾して時間が経ち、その環境に慣れただけかもしれないけれど、それにしてもあまりに顕著な変化だった。
わたしは夫に、自分の散らかすことを認めてもらいたかった。もちろん、彼がどんどん掃除をすることもまた「認める」の一形態であるということも分かった上で、しかし、散らかっているままでいいと言われたかった。自分のどうしようもなく散らかすことが自分で受け入れがたくて、代わりに夫に受け入れてもらおうとしていた。いわゆる、「ありのままの自分」なんてもので、いつづけさせてほしかった。
けれども、自分で振り返ってみて、思う。「ありのまま」がいいのなら、教育なんて仕事は選ばなかった。正直にいうと、兄弟が好き放題しているときの授業は、わたしもちょっと楽しかった。いいかげんな短歌が大量にできていくのもおもしろかったし、ときどき兄がつられて短歌や詩を書いているのもよかった。それこそがクリエイティブな場なのだ、と、言い張れなくもない気もした。読み書きを楽しいと思ってもらうことを、もっと言えば、なにかをおもしろがる目線を身につけてもらうことを、仮にこの教室のゴールだとするなら、もう特に教えることもないかな、という考えが、頭をよぎることもあった。
しかし、それではやっぱりいけなかった。「ありのままに」というのは、教育の業界でもときどき聞く文句である。しかし、仮に彼らの現状を肯定したいと思ったとしても、それが教えているわたし自身の現状が否定されないための口実でないか、厳しく疑わないといけない。だいたい、ときに「ありのまま」を認めることが必要になるにしたって、たかだか今できる範囲のことだけを彼らの「ありのまま」とみなし、そのあとにできるようになるたくさんのことに見てみぬふりをしてしまうんであれば、そんなに失礼なことはない。このごろ国文法に熱心になり、「主語と述語の四つの基本形」をたずねると競いあって暗誦するようになった兄弟を見ていて、思う。ああ、この人たちに「ありのままではいけない」と言いつづけられるのは、しんどくて、そして、うれしいことだ。
ちなみに、机の位置を変えてからも、弟は短歌を作りつづけている。それどころか、彼の短歌には少しずつ、当初の工夫と魅力とが戻ってきたのだった。
そしてわたしはといえば、きのう、夫がいないうちに、家中に掃除機をかけた。椅子の下の埃も払ったし、散らかしていた本も、まあ、せめてひとつの山にした。帰ってきた夫は「えー?」と笑って、「掃除、楽しいでしょ?」と言った。一瞬迷ってから、しかしはっきりと、「うん」と答えた。これもまた、終わってみるとあまりにささいで、くだらない気持ちになってくる。しかし、しかたない、微調整、微調整。自分に言い聞かせている。微調整、永遠に、わたしたちは、よりよくなっていかないといけない。
さて、先に引用した山村暮鳥の言葉は詩集『雲』の序文である。最後に、『雲』のなかから一篇を紹介したい。
りんご
兩手をどんなに
大きく大きく
ひろげても
かかへきれないこの氣持
林檎が一つ
日あたりにころがつてゐる
いや、これの、どこが、「下手」だというのか。あぶない、あぶない、騙されるところだった。
(了)
向坂くじら(さきさか・くじら)
詩人、国語教室ことぱ舎代表。Gt.クマガイユウヤとのユニット「Anti-Trench」で朗読を担当。著書『夫婦間における愛の適温』(百万年書房)、詩集『とても小さな理解のための』(しろねこ社)。一九九四年生まれ、埼玉県在住。