「天才編集者」が生み出すスペクタクルと縁故主義

文=T.V.O.D.

世間では既に忘れられつつある気もするが、文春オンラインが5月16日に公開した記事において、幻冬舎所属の「天才編集者」、箕輪厚介氏によるハラスメント行為が報道された。報道内容の概略は、
・箕輪氏からライターA子さんに、取材及び執筆の仕事を依頼。
・取材及び執筆の過程で、箕輪氏からA子さんへ「絶対変なことしない」「でもキスしたい」といったメッセージの送付及び、A子さんの自宅へ押しかける行為があった。
・A子さんは原稿を書き上げたが出版されず、原稿料が支払われることもなかった。
といったものであった。

報道内容が真実なのであれば、箕輪氏・幻冬舎側から仕事を依頼し実行させたにもかかわらず対価を支払わなかったこと、社員編集者とフリーライターという非対称の力関係のなかでセクハラ行為に及んだこと、これらの二重のハラスメントがあったということになる。そしてこの報道後の展開をまとめると以下のようになり、セクハラ行為については箕輪氏が自らその実行を認めていることが分かる。
・報道から3日後の5月19日、箕輪氏はレギュラーコメンテーターを務めるテレビ番組『スッキリ』(日本テレビ系)にリモート出演したが、報道には触れず。
・同日5月19日、箕輪氏のTwitterアカウントが「トラップ。よろしくお願いします。」とツイート。ツイートはその後削除された。
・5月20日、主宰するオンラインサロン「箕輪編集室」会員向け動画にて、「内輪の中でいうと、徐々に相手の女性の異常性っていうのが知れ渡ってきて「さすがに箕輪さんこれでやられるのはおかしいんじゃない?」っていう話がやっとこさ出てきたんで、それはちっちゃいながらの前進かなと思うんですけれど」「この件に関しては、僕はいいです。僕はもともとああいうメッセージを送る人間で、そういう人なんで」「俺は反省してないです。ふざけんなバーカ」などと箕輪氏が発言。(後述する5月30日の文春オンライン報道にて発覚)
・動画配信から約1週間後、「妻帯者でありながら、あのような行動をして、軽率であったと反省してます。編集者とライターという力の差を利用しているという認識が当時はありませんでしたが、そのように受け取られる立場にいるという自覚を持たなければいけませんでした」などといった記述のある「反省文」を、箕輪編集室会員に向けて公開。(後述する5月30日の文春オンライン報道にて発覚)
・5月29日、箕輪氏のTwitterアカウントが「死にたい」とツイート。
・5月30日、上記の動画配信及び反省文について報道した文春オンラインの記事「幻冬舎 箕輪厚介氏「何がセクハラだよボケ」」が公開。
・6月8日、箕輪氏のTwitterアカウントが「皆様へ」という表題の下、「今回の件に対する自分なりのけじめとして、テレビ番組出演等の活動を自粛致します。またニューズピックスブック編集長を退任致します。ニューズピックスブックは既刊の「東京改造計画」を最後に終了します」といった記述を含む謝罪文画像を添付したツイートを投稿。

わざわざ言うまでもないが、報道以降の箕輪氏の言葉と態度はとにかく「軽い」。あらためて一連の経緯を見れば、彼が公の場でのダンマリと、箕輪編集室や自身の身内へ向けた虚勢=「イキリ」で当初はこの状況を乗り切ろうとしていたことが誰にでも分かるだろう。しかし、箕輪氏への抗議のnote記事を公開して編集室を退会した会員の方がいたことが、おそらくはサロン内での反省文公開につながり、そして5月30日の文春オンラインの追加報道がおそらくは6月8日の公に向けた謝罪ツイートにつながって、当初の彼の言葉・態度はすべてひっくり返されることになる(そもそも「けじめ」としてテレビ出演を自粛しなければいけないような状況なのであれば、5月19日の「スッキリ」にはなぜ何の説明もなしに出演していたのか?)。しかも、当初の報道から3週間経ってようやく出た公の場における初の声明は「一連の問題で不快な思いをさせ申し訳ございません」というクリシェから始まるもので、彼が具体的に何をどう「反省」し、一体誰に向けて謝罪しているのかも不明瞭な、「軽い」テキストだった。

箕輪氏は「言わずと知れた天才編集者」を自称する出版人だ。「天才編集者」が、自らの行いや仕事に関わる言葉や態度においてここまで軽薄であるということを、はたしてどう理解すればいいのか? 言うまでもないが、出版編集者は言葉や情報、思想、意見、それらさまざまな「意味」を編み、それを社会に送り届けることを生業にしている人々であるはずだ。そのなかでも「天才」であるらしい彼は、実に3週間も、自らの原稿料未払い及びライターへのセクハラ報道について、社会に対して何のステイトメントも出さなかった。あまつさえ、その沈黙の裏側では「あいつが一番キチガイじゃねえか、バカ」「反省してない」などと、「内輪」に向けて語っていたわけだ。
社会に対しては沈黙し、「内輪」に対しては暴言を吐いて強がり、イキる。そのことがバレると、クリシェを用いた曖昧な謝罪を社会に公表する。「天才編集者」である彼が、自らと社会との関係性を実際のところどのように考えているのか、この一連の流れを見ていても正直言ってまったくわからない。社会に対して言葉を届けること・ステイトメントを出すということを、彼はどう考えているのだろうか。今回報じられた箕輪氏の行いは、そもそも社会にその実態を説明する必要がない「個人と個人の間の恋愛沙汰」の類ではなく、弱い立場の人間に対するハラスメント行為である。「内輪」のなかで笑い話にするような問題では決してないはずだ。

ぼくは箕輪氏自身の言葉や態度の軽さについても疑問を感じるが、箕輪氏を取り巻く「内輪」の在り方についても、強い違和感を覚える。箕輪氏を積極的に推し、彼との交流をメディア上でアピールしてきた人々の多くは、今回の件について公には何も言及していない。こうした状況は、ライターA子さんや、彼女と同じく弱い立場にいる人々が、「有力者のハラスメント行為は社会において忖度され、見て見ぬふりをされ、『なかったこと』にされてしまうものなのか」といった恐怖を感じることにつながりはしないか。
箕輪氏は近年、「天才編集者」として広く注目を集め、出版業界のみならず、テレビやネットなどさまざまなメディアでも知られるようになっていた。単に有名出版社社員であるということ以上の権力や人的ネットワークを、彼は確実に持っている。そういう彼のハラスメント報道が、まるで何ごともなかったかのようにタブー化していったら、権力を持たず社会や労働現場で弱い立場に置かれている人々は、はたしてどんな心境になるだろうか?
箕輪氏との交流を積極的にアピールし、自らと箕輪氏との「内輪」感を演出してきた人々は、彼のハラスメント行為についての自分自身の考えを、社会に対して表明する必要があるのではないか。そこで表明される考えの内実そのものは、もちろん個々人によってそれぞれ異なるものになるだろう。全員が判を押したように同じ意見を述べる必要はないし、発言内容に対するそのような抑圧があってはならない。しかし各個人による社会への意見表明が行われることこそが、「内輪」の力でハラスメントがタブー化されてしまうことや、その黙殺可能性に対する弱い立場の人々の恐怖を解消することに、きっとつながるはずだとぼくは思う。残念ながら、そのような表明は現段階においてもほぼ確認できないわけだけれども。

そしてぼくにとってさらに印象深かったのは、箕輪編集室というオンラインサロン及びその参加者たちが、社会に対して見せた態度である。箕輪編集室は報道及び6月8日の箕輪氏の謝罪以降、この件について社会に向けたステイトメントは一切出していない。また、5月30日の報道以降は、Twitterのプロフィールから「箕輪編集室所属」のフレーズを外す者や、箕輪との交流を記述した過去ツイートを削除もしくは非公開にする者が多く目につくようになった。サロン参加者たちの一部には、「女側がキチガイなだけ」「ダンマリも必要」といった言葉を、報道以降にSNSに書きつけていた人々もいたけれども、それらの言葉もいま現在では削除もしくは非公開状態になっている。
箕輪編集室は、主催者の行いについてオンラインサロンとして社会に対して態度表明をすることは不要と考えているのかもしれない。それまでは箕輪氏を「推していた」けれども、同時多発的に箕輪氏と自らの関わりを伏せ始めた編集室会員は、考えが変わり箕輪氏や箕輪編集室から離脱しようと考えたのかもしれないし、変わらず所属・活動は続けるつもりであるものの、ほとぼりが冷めるまではそのことを隠そうとしているのかもしれない(仮に後者のように考えている人々がいるのであれば、その態度は箕輪氏と同質の「軽い」ものであると言わざるを得ない)。
いま現在の状況についての自分自身の考えの「発信」が、箕輪編集室会員から社会に対して発せられることがほぼないため、実態は分からない。先述した「箕輪氏への抗議のnote記事を公開して編集室を退会した会員」だけが、編集室内部から社会に対して自分の言葉を届けようとしていたようにぼくには思えたが、それ以外に「内輪」という範囲を超えようとする言葉や「発信」は、ほぼ見受けられなかった。参加会員たち個人の「発信」のあり方についてはひとまず置いておいたとしても、少なくとも、大学生や高校生といった未成年も参加することのある団体が、主催者のセクハラ報道について対外的に一切何も公式ステイトメントを発さずに通常運転を続けるというのは、正直言って異様な状態であるようにぼくには思える。そもそも、「最強のクリエイティブチームでありながら、マーケティングからプロデュース、制作、そしてSNSを連動したプロモーションまで、トータルに仕掛けてい」くというほど発信力やクリエイト能力に優れているらしい団体が、この状況下で社会に対して何のステイトメントも出せないというのは一体どういうことなのか、理解に苦しむ。

箕輪氏によれば箕輪編集室の特徴は「情報や物質を売っているわけではない、思想を売っているのだ。そこに共感する人たちが集まってコミュニティ化している。周りから見れば信者のように見えるかもしれないが、それは間違っていない。ただ宗教と違うのは多様な意見が受け入れられていて、出入りが自由だということ」であるそうだが、これは逆に言えば、「多様な意見が受け入れられていて、出入りが自由」という特徴がなければ、いわゆる新興宗教と変わらないということにならないか。少なくとも今回の一件に関連する状況を見る限り、「多様な意見」が彼らの間で展開されている様子は見えない。そして、「サロンには2つの要素があって。熱狂的な部分と、コミュニティ的な部分があるんです。熱狂ばかりだと疲れてしまって衰退するんですよね。これは佐渡島庸平さんに教えてもらったんだけど、熱狂にはゴールがあるけれど、コミュニティは「居場所」だからゴールはない。その2つの要素を一緒にすると、目的達成したら「解散」になってしまうんです。だから、箕輪編集室はコミュニティとしては「熱狂」しないようにしています。どういうことかと言うと、箕輪編集室全体での「明確な目的」をあえて作っていない」と彼が言うように、箕輪編集室は「居場所」として機能している部分が大きいと思われる。目的達成時には離脱する場所としてではなく、その場を自分の「居場所」として頼るようになると、人間は簡単に「出入りが自由」な場所としてそこを捉えられなくなる。その場を失ってしまえば、せっかく出来上がった自分の「居場所」がなくなる。そのように、何か疑問を感じることがあっても、「居場所」を失うことが怖くて箕輪編集室を離脱できていないという人は少なくないのではないか。もしそうであるなら、箕輪編集室と新興宗教を隔てているものははたして一体なんだろうか。

箕輪氏や、彼を推す人々、そして箕輪編集室、それらが作り出している「内輪」は、それなりに規模の大きなものだ。その大きな「内輪」に参加する人々のほとんどが、箕輪氏のハラスメント行為や、その発覚において当初は「あいつが一番キチガイ」などどA子さんへの人格攻撃・暴言を発していたことに対し一様に口をつぐんでいるのは、はっきり言って彼及び彼を取り巻くネットワークに対する、縁故主義的な忖度でしかないだろう。社会に対する態度よりも、「内輪」における振る舞いの方が優先される状況がそこにはある。
出版業界という、社会に対して公正であること・公共性維持のためのインフラであることを曲がりなりにも求められ、そして自分たちでもそのあり方を主張・自負しているはずの業界で注目される「天才編集者」が、自らのハラスメント行為が明るみに出た際、社会に対して徹底的に「軽い」言葉と態度で臨み、普段から彼を推していた「内輪」の人々は社会に対して沈黙し、彼が主宰するオンラインサロンは社会から遊離した「内輪」の具体的な在りかとして機能する。箕輪氏や箕輪編集室は何か新しくオルタナティブな存在であるかのように喧伝されているが、なんのことはない、トラブルによって明るみに出た彼や編集室の振る舞いの実態は、社会性・公共性を度外視して「内輪」のなかに引きこもり互いに癒着する、ありふれた縁故主義でしかなかったと思う。
縁故主義的な「内輪」が跋扈すると、社会における公共性が棄損される。文章を書き、編集し、出版し、販売する人々、つまり出版業界において仕事をする人々は、普段はそうした「内輪」の跋扈をむしろ食い止める公共的な存在としての自己像を描き、喧伝してはいないか? そういう自己像を描く業界が、箕輪氏及び箕輪編集室のような肥大化した「内輪」・縁故主義の生産元になってしまっていることを、業界に携わる人々は、はたしてどのように考えるべきだろうか?
そして箕輪氏とA子さんがそうであったように、労働現場における力関係というのは往々にして非対称なものである。たとえば、あなたが非正規雇用の形で書店に勤務しているとしよう。そして上司の正社員が、箕輪氏の「内輪」のなかに身を置いている人間だったとする。その社員がもしも、箕輪氏のハラスメント行為について「女側がキチガイなだけ」「ダンマリも必要」などと発言しながら、箕輪氏の関わった書籍の店頭フェア担当をあなたに命じたとしたら。もしあなたがハラスメント行為に疑問を感じていた場合、命じられたその仕事を、その労働現場を、その労働現場がよって立つ社会を、公共的で公正なものと感じることができるだろうか? 「内輪」の跋扈はこういう状況を引き起こし得るのだ。月額5,940円を支払い、「学ぶというより、一緒に進むイメージ」で箕輪編集室に参加するサロンメンバーは、6月23日時点で486人もいる。出版業界のみならずさまざまな業界に、彼らの「内輪」のネットワークが張られていると考えることもできるだろう。「箕輪マフィアが全国、全世界に2000人、3000人と増えていけば。世の中はもっと楽しく、もっと自由になっていくと思う」と箕輪氏も語っている。上記のような例が現実に起きることは、可能性のない話ではまったくないと思う。弱い立場に置かれた人間の意見や意志もちゃんと尊重されるように、労働環境はフェアで公正なものであるべきだ。「内輪」ノリ=縁故主義はそういう環境の構築を阻害するのである。

 

箕輪氏の所属企業である幻冬舎は、いまだこの件に関して自社発信の公式なステイトメントを出していない。自社社員がSNSで謝罪コメントを出しているのに、そのことについて一切公式なステイトメントを発表しない企業姿勢には、疑念を抱かざるを得ない。
そして箕輪氏を編集長に据え、幻冬舎との協業で「NewsPicks Book」を発行していたニューズピックも、「この度、「NewsPicks Book」の幻冬舎側の責任者である箕輪厚介氏に関わる一連の問題を重く受け止め、今回の終了を決断いたしました。同時に、箕輪氏本人からも、自ら責任を取って退任したいとの申し入れがありました」との記述だけで「NewsPicks Book」の終了を発表した。2018年に「さよなら、おっさん。」という企業広告を日経新聞に出稿し、その意図について「古い価値観やシステムに拘泥し、新しい変化を受け入れない。自分の利害のことばかり考え、未来のことを真剣に考えない。フェアネスへの意識が弱く、弱い立場にある人に対し威張る。そうした「おっさん的価値観」が牛耳る日本社会、日本経済と決別しようというメッセージこそが、「さよなら、おっさん。」なのです。」「今後もNewsPicksは絶え間なく自らをアップデートしていく覚悟です。もし「NewsPicksの精神がおっさん化した」と感じられたときには、みなさまからの厳しいコメントをいただければ幸いです」とまで言っていたのに、「箕輪厚介氏に関わる一連の問題」について、重く受け止めるという以上の言及・声明を避けているのである。

今後もそれぞれ出版活動を続けていくつもりであるはずの幻冬舎・ニューズピックともに、社会に対する具体的なステイトメントの発信から逃げ、縁故主義的な態度に事実上淫している。箕輪氏・幻冬舎・ニューズピックは、この状況下においてもいまだ「内輪」感を形作っている自分たちの仕事の仕方について、いったいどのように考えているのだろうか。少なくともぼくには彼らのやり口は、公共的な感覚を欠いた無責任なものであるようにしか思えない。

 

箕輪氏は自ら「キャラクター化」することで、自身のビジネス規模を拡大してきた。お笑い芸人やポップミュージシャンのように、自分の人格を極端にデフォルメしたキャラクターを作り上げてメディア上で展開し、物語を生むことで、手掛ける仕事をスペクタクル化してきたわけだ。「俺自身がインフルエンサーになったら最強じゃん」という考え方も、そういった戦略プロセスの一環であると言える。そして組み上げられた「天才編集者・箕輪厚介」というキャラクターは、
どうやって人をワクワクさせるかと言ったら、とことん自分をさらけ出すのが一番。その熱量で人を巻き込み、熱狂を伝播させていく」「最初にしり込みしてしまったら、何も生まれない。しり込みこそ、一番の悪なんですよ」「仕事をする上では、中途半端な知識や経験よりも、個人的な熱狂のほうが勝る」といったような、熱狂せよ、現場に飛び込め、というニュアンスの言葉を多用する。とにかく引くな、しり込みせずに攻めろ、というわけだ。箕輪編集室向けの動画で暴言を吐いたのも、このキャラクターを維持するためには必要な行為だったのだろう。「俺ほど男子校的な人いないからね。男子校とかに、本当に無神経で悪気がないやつっているじゃん。そういう感じだからね」と彼自身が自己言及しているような志向が、「俺は反省してないです。ふざけんなバーカ」という発言にもおそらくつながっている。男子校ホモソーシャル的な「内輪」ノリを前提としてイキり、悪態をつき、自らの性的加害行為を矮小化する。ひとりの人間として、自らの行為について社会に対してステイトメントを出すことよりも、「内輪」のノリを維持することの方が、彼にとって重要な問題になってしまってはいないか。
箕輪氏はSNSについて「SNSのスピード感には、恐ろしくなることもあります。自分に注目が集まるスピードも、ちょっと想像を超えている。でも、怯えていても仕方がない。だったら、仕事につながるように活用したほうがいいんです。さて、このツールを使っていけるところまで行ってやろう、という気持ちです」と発言しているが、SNS活用も含めた戦略プロセスのなかでつくり上げられた「天才編集者・箕輪厚介」というキャラクターの「いけるところまで行ってやろう」という方針の行きついた先が、ここだと思う。しり込みせずに熱狂し、自分をさらけ出すキャラクターを売りにしてしまっていた彼は、「妻帯者でありながら、あのような行動をして、軽率であったと反省してます。編集者とライターという力の差を利用しているという認識が当時はありませんでしたが、そのように受け取られる立場にいるという自覚を持たなければいけませんでした」と最初から言うことができなかった。彼自身が作り上げた「天才編集者・箕輪厚介」は、そんな殊勝なキャラクターではないからだ。社会と自分との関係性を考え内省するよりも、とことん自分をさらけ出し「狂う」のが、「天才編集者・箕輪厚介」だから。その結果さらされたのが、「俺は反省してないです。ふざけんなバーカ」「相手の女性の異常性っていうのが知れ渡ってきて」といった彼の言葉であり倫理観だったわけだ。実際、「編集者などという仕事には善悪や倫理など関係ない」というのが彼の信条である以上、「何がセクハラだよボケ。あいつが一番キチガイじゃねえか」という言葉が出てくるのも自然なことではあるだろう。

箕輪氏が言うところの「編集者」というのは、興行師や企画屋としての意味合いばかりが肥大化しているようにぼくには思える。公共性という水準に対して自らの仕事が与える影響を、彼がどう考えているのかがやはり見えてこない。箕輪氏は「大切なのは常識に縛られないこと」「世間の常識や倫理など関係ない」というような世界観を繰り返し語るが、では彼のなかで「常識」や「倫理」というものが具体的にどのようにイメージされているのかが、その発言や仕事のなかから見えてこないのだ。単に「面倒でうっとおしい規範」程度の意味でそれらの言葉が使われているように思う。だが言うまでもなく、他の誰もがそうであるように、彼もまた「常識」や「倫理」の構築に不可避的に関わり責任を持っている人間のひとりであるはずだ。同調圧力的に個人を抑圧するような「常識」や「倫理」(のようなもの)はたしかに害悪である。だが、個人に対する理不尽な抑圧を許さないような「常識」や「倫理」を社会のなかで形づくっていく責任が、人間にはあるはずだ。箕輪氏の発言や態度は、その責任から子供のように逃げ回っているものでしかないように、ぼくには思える。

 

昔の編集者が書いた本を読んでいると、いろんな「伝説」が出て来るじゃないですか
地道に書籍を作っている編集者にも敬意はありますが、僕はそういう無茶をする編集者に憧れていた。だから、僕が目立っているのも、なんだか奇妙なんですよ。なんでもっとみんな、昔みたいに大胆に騒がないんだろうなって」といった発言からも分かるように、世間がなんとなく彼に対して持っているオルタナティブで新世代的なイメージとは裏腹に、箕輪氏自身は昭和期出版界の豪快・破天荒なエピソードに憧れを持った、ある種のリバイバリストである。自身のボスに当たる見城徹や、さらにその参照元にあたる角川春樹のような、著しくキャラクター化していた往年の出版人に対する素朴な憧れが彼の発言には溢れているし、自らを「すべてが見城さんのコピーである」(見城徹『異端者の快楽』解説)といった形で語る発言もある。春樹にしろ見城にしろ、昭和期のある意味で過剰な出版人たちがつくり上げていた世界というのは完全に男性中心主義的なホモソーシャル空間であり、「俺ほど男子校的な人いない」という箕輪氏が、そうしたタイプの往年の「熱狂」に憧れを持つのは非常に分かりやすい。「NewsPicks箕輪の「男子校ノリ」が苦手みたいな人に対して言うとしたら…人を引かせてしまうリスクもありつつ、やっぱり好きなんだよね。そういうノリが好きな人も一定層いるからね。狂熱空間みたいなものが生まれていて、バンドみたいなものに近いと思う」という言葉からもわかるように、彼にとってそういったホモソーシャル空間のなかで、破天荒なキャラクターたちが「熱狂」して仕事をし、一大スペクタクルと化した出版事業が展開されていくことは、この上なく魅力的に映っているのだろう(しかし、「バンド」というものに対する捉え方が、それこそ非常に古いものであるような気はするが……)。彼が今回社会や公共性を度外視した発言・行動に走ったことも、このあたりに原因があるはずだ。
だが、そういうスペクタクルのなかには、ハラスメント行為を受け、「異常」「キチガイ」と言った言葉を浴びせられ、そしてその告発について多くの人々に「ダンマリ」を決め込まれるような存在がいる。今回の件に限らず、ホモソーシャルな「熱狂」空間が、一体何を踏みにじった上で成立しているのか、「天才編集者・箕輪厚介」が反省的に言及することはないだろう。そんな自己言及は、「熱狂」に水を差し、スペクタクルをみすぼらしくしょうもない風景に変えてしまうから。男たちのロマンの火を鎮火させてしまうから。彼が今回の騒動において徹底して軽薄に振る舞ってしまったのも、トラブルについて内省し「重く」振る舞えば、「天才編集者・箕輪厚介」というキャラクターに破綻が生まれてしまうからだろう。場をシラけさせず、盛り上げ、攻め込み、「熱狂」を焚きつけることを、「天才編集者・箕輪厚介」は求められているのだから。

見城徹が角川春樹のデッドコピーに過ぎないように、箕輪厚介もまた見城徹のデッドコピーに過ぎない。そしてコピーを重ねるたびに、仕事における厚みのレベルは下がっている。実際、出版業界の少なくない人々、特に人文的な領域に足場を持つ人々は、箕輪氏の存在や仕事をとるに足らないもの、相手にする必要もないものと思っている節があるように感じる。あんなものは自己啓発書まがいのフェイクでチープなエンターテイメントに過ぎない、と。しかし、彼が昭和期のホモソーシャルな出版界のリバイバリストとして生み出してきた仕事やネットワークは、おそらくそういう人々が想像するよりも広く「届いている」。どれだけその中身がチープなものであっても、いや、チープなものであるからこそ届く。一見豪胆な「天才編集者」というキャラクターや、パッと見は新世代的なものに見えるスペクタクルな出版展開は、即効性のある分かりやすいチープな刺激として、どんどん人々に届いていく。この届き方を侮ってはいけないのではないか。
ぼくは本屋の仕事を生業にしているから、小売の現場ではすべての書籍は等しく「商品」として店頭に並べられ扱われることを、痛いほど骨身に染みて理解してきたつもりだ。人文系版元やアカデミアの人間が鼻で嗤う内容の書籍であっても、小売の現場ではやはり「売れること」は力を持つ。当たり前の話ではあるが、小売現場では、その中身よりも売れた数字が力に、正義になってしまう。箕輪氏が「『多動力』が売れたことによってNews Picks Bookは売れる!という信頼が生まれ、書店のいい場所を確保し始めた」と言うように、小売現場での展開規模の大小を決めるのはやはり実売実績だ。これもまた当たり前の話だが、書店店頭で扱われる書籍たちはあくまで「商品」であって、商売を成り立たせるためには、「商品」をたくさん販売して利益を上げなければいけない。言うまでもない話だ。しかし書籍というアイテムは、単なる「商品」でありながら、その中身において何がしかの「意味」を内包してしまう。そういうアイテムを如何につくり出すか、如何に届けるか、書籍の制作や販売に関わる人間たちは、社会に対して意志を持ち態度表明をする必要があると、ぼくは考えている。つまり、公共性に対して自らの仕事が如何に影響を与えるかを考え、そのことについて自らの姿勢を示す必要があるということだ。箕輪氏の今回のハラスメント行為はもとより、彼が生み出してきたようなスペクタクルが出版業界・書店業界で大手を振るうこと自体を、書籍に関わる人々はあらためて考えるべきなんじゃないのか。
出版や書籍小売の世界が今後、キャラクターとスペクタクルの力を最大限使い、ホモソーシャル的な「内輪」を拡大していく箕輪氏のようなやり方の拠点に完全に堕していってしまえば、そこでは公共性に対する責任などもはや問われなくなっていくだろう。「俺は反省してないです。ふざけんなバーカ」というような、「内輪」のなかでのイキリで盛り上がりさえすればいい、という世界観が、この業界を覆っていくことになるだろう。箕輪氏の仕事は、それが届いた先で、各自が孤独に思考することを促すようなものではない。「早くこっちにくるといい。こっち側で間違いない。ルールは変わる。経験は邪魔だ。無知でいい。ごちゃごちゃ考える前に、動け」という彼のメッセージにある「こっち側」は、オルタナティブ・ウェイ・オブ・ライフではなく、実際のところは彼の「内輪」を意味してしまってはいないか。箕輪編集室を含む、彼を取り巻くネットワークのなかにいれば、今後も生き延びられるぞ、という甘言としてそれは受けとめられてはいないか。今回の件で「ダンマリ」を決め込んだ人々は、自分にはそういう気持ちは一切ないと胸を張って言うことができるのだろうか。

この数年間、政治の領域では、安倍政権が各方面に縁故主義を蔓延らせることで社会における公共性を破壊してきたが、出版・書店の世界で、ハラスメント行為に対してNOと言わせないような縁故主義が蔓延ることもまた、同じように公共性を破壊する。出版や書店に関わる人々が本当の意味で向かい合わなければいけない相手は、箕輪氏でも彼がつくるネットワーク=「内輪」でも、幻冬舎でも見城徹でもない。社会だ。社会に対して胸を張れるような仕事をしろ。縁故主義に浸かった卑屈な仕事をするな。コネに頼るような卑屈な態度をとるな。有力者の顔色を伺い、媚び、「ダンマリ」を決め込むような卑しい人間になるな。公共性のために自分が何を出来るのか考え、行動しろ。自分で自分にそう語りかけることができるか否かが、出版業や書店業に限らず、何かを考え行動していくあらゆる場面で重要なことなのではないかと、ぼくは思う。インチキ教祖のようなインフルエンサーの言葉にだらしなく身を委ねるのではなく、自分自身の頭で考え、判断し、そして行動しろ。

text by コメカ(TVOD)

 

T.V.O.D.(てぃーゔぃーおーでぃー)

コメカ(早春書店店主)とパンスによるテキストユニット。「サブカルチャーと政治を同時に語る」活動を、様々な媒体にて展開中。著書に『ポスト・サブカル焼け跡派』(百万年書房)。 こめか/1984年生まれ。サブカルチャーや戦後民主主義が好き。テクノポップバンドmicro llamaのメンバー。Twitter @comecaML ぱんす/1984年生まれ。地図と年表を見るのが好き。Twitter @panparth

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  1. ・・・新興宗教と近い、ってのは確かにそうだなぁ。ミュージシャンやその周辺やTV総合演出にも同じ手法の人は昔からいる。逆らうものは排除ってやつ。>>「編集者などという仕事には善悪や倫理など関係ない」「天才編集者」が生み出すスペクタク… https://t.co/LKLabLFLNL

  2. 「天才編集者」が生み出すスペクタクルと縁故主義 https://t.co/QX1xjjfNyx

  3. “トラブルによって明るみに出た彼や編集室の振る舞いの実態は、社会性・公共性を度外視して「内輪」のなかに引きこもり互いに癒着する、ありふれた縁故主義でしかなかったと思う”
    アベノミクス、7つのゼロ、身を切る改革…そういうものに私… https://t.co/oQJ8LYsWNd

  4. 出版に関わる人間は
    絶対に読まなければなりません。
    いますぐ。

    「天才編集者」が生み出すスペクタクルと縁故主義 https://t.co/9kgo8LBk7P

  5. 本の世界が問われてるって自覚が必要。

    「天才編集者」が生み出すスペクタクルと縁故主義 https://t.co/tWZFx9O458

  6. 「箕輪氏自身は昭和期出版界の豪快・破天荒なエピソードに憧れを持った、ある種のリバイバリストである」

    「天才編集者」が生み出すスペクタクルと縁故主義 https://t.co/aiJqTYuOZ5

  7. いち古書店主が「業界的忖度」なしに書物とその周辺への愛情だけで書き上げた、「天才編集者」についての現在までで最もまとまった考察。
    この「縁故主義」は、現在の社会状況までも抉り出す。

    書籍愛のある全てのかたに。

    「天才編集者」が… https://t.co/ypkkqnB1Do

  8. 箕輪氏の本が読者に届いた事実は揺るがない。
    特異な体験をした思想をまとめた自己啓発本、彼が娯楽/エナジードリンクと呼ぶその本が、読者の方が「自分も自己責任論で、なんでもしていいんだ!」的なメッセージをもっていることに嫌悪がある。… https://t.co/zjIvpoxzIA

  9. bubbles-goto (@bubblesgoto)

    「箕輪氏が言うところの「編集者」というのは、興行師や企画屋としての意味合いばかりが肥大化しているようにぼくには思える」。とても重要な指摘。→「天才編集者」が生み出すスペクタクルと縁故主義 | 百万年書房LIVE! https://t.co/Dg7PwbavbF

  10. 「天才編集者」が生み出すスペクタクルと縁故主義 https://t.co/osynHuRvN8

  11. 「出版業界の少なくない人々、特に人文的な領域に足場を持つ人々は、箕輪氏の存在や仕事をとるに足らないもの、相手にする必要もないものと思っている節があるように感じる。あんなものは自己啓発書まがいのフェイクでチープなエンターテイメントに… https://t.co/RAUBJhWCfD

  12. 「天才編集者」が生み出すスペクタクルと縁故主義 https://t.co/0q20wYvzxL

  13. 縁故主義的な「内輪」が跋扈すると、社会における公共性が棄損される。/「天才編集者」が生み出すスペクタクルと縁故主義 | 百万年書房LIVE! https://t.co/XwyTwv0Dhv

  14. とても誠実な文章でした。大変めんどくさいけど、自分の頭で考えるしかないんだよな、思考を外注しちゃいけないんだよな、と改めて思いました。/「天才編集者」が生み出すスペクタクルと縁故主義 https://t.co/Qso8uU6B9w

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  19. “「天才編集者」が生み出すスペクタクルと縁故主義 | 百万年書房LIVE!” https://t.co/ZioDun5rH2

  20. こういう編集者の手になる出版物がもてはやされる=売れる社会的状況を苦々しく思ってる編集者は多いんですよ。読者の劣化との闘い。

    「天才編集者」が生み出すスペクタクルと縁故主義 https://t.co/NeTyrKxczU

  21. 文章を書き、編集し、出版し、販売する人々、つまり出版業界において仕事をする人々は、普段はそうした「内輪」の跋扈をむしろ食い止める公共的な存在としての自己像を描き、喧伝してはいないか? https://t.co/FOQle9CFnl

  22. 「天才編集者」が生み出すスペクタクルと縁故主義 https://t.co/qbSV931lqO

  23. この辺の人たち、「見られ方」ばかり気にしてんだよね。

    「(前略)Twitterのプロフィールから「箕輪編集室所属」のフレーズを外す者や、箕輪との交流を記述した過去ツイートを削除もしくは非公開にする者が多く目につくようになった。」

    https://t.co/NWVc9RDcjO

  24. 「天才編集者」が生み出すスペクタクルと縁故主義 https://t.co/ZMFN4xCGCm

  25. 読んでると箕輪厚介さんは間違いなく反省してないんやろなって思う。

    https://t.co/HimySTbqcY

  26. 「天才編集者」が生み出すスペクタクルと縁故主義 https://t.co/35P5yBlcOh 彼の「信者」だった人たちは、このザマを見てどう感じているのだろうなぁ

  27. (セクハラ問題への反応から多様な意見が展開無いと考えられ、居場所となっているため出入りも自由ではないなら)「箕輪編集室と新興宗教を隔てているものははたして一体なんだろうか」
    有名人のオンラインサロンって嵌まってる人以外から見たらど… https://t.co/rDUq1T5Yiw

  28. 誠実な文章/「天才編集者」が生み出すスペクタクルと縁故主義 https://t.co/80LG5tz6ZD

  29. 「天才編集者」が生み出すスペクタクルと縁故主義 https://t.co/cBtDQXo8ox

  30. オンラインサロンって新興宗教と変わらないと思う。「外部性」を担保できなくて暴走する国民性の日本人は特に注意が必要。そもそもコストゼロの参照(リンク)が肝のインターネットでこんな閉鎖的なことやってるのがキモイ https://t.co/P3Fpm5lV0G

  31. 「天才編集者」が生み出すスペクタクルと縁故主義 https://t.co/FTYgyFkQDn

  32. 箕輪某が幻冬舎ということを初めて知って全てを悟った

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  33. 教育職にある落合陽一さんもダンマリを決め込んでいるのか。

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    「何か新しくオルタナティブな存在であるかのように喧伝されているが、なんのことはない、(中略)社会性・公共性を度外視して「内輪」のなかに… https://t.co/nHssWRiQmU

  35. 「天才編集者」が生み出すスペクタクルと縁故主義 https://t.co/FK6rYJwbLv

  36. 「見城徹が角川春樹のデッドコピーに過ぎないように、箕輪厚介もまた見城徹のデッドコピーに過ぎない。そしてコピーを重ねるたびに、仕事における厚みのレベルは下がっている。」
    デッドコピー:模造品、コピー商品、パクリ商品 https://t.co/vt9IFU82H7

  37. 「天才編集者」が生み出すスペクタクルと縁故主義 https://t.co/VVLNhtmHGY

  38. ヤバい時にキッチリだんまりを決め込む人こそ、もっとも危険視すべき。だいたい、そういう人のほうが本当の意味でタチが悪い |「天才編集者」が生み出すスペクタクルと縁故主義 | 百万年書房LIVE! https://t.co/uke4pXJ3uw

  39. 「天才編集者」が生み出すスペクタクルと縁故主義 https://t.co/yAxI9XgSrU

  40. 締めくくりの言葉がとても切実で、出版業界に僅かながら残る誇りや叫びのように見えた。箕輪氏の手がけた本は1冊も読んだことはないが、本はとても好きなので、こういう人に業界に残ってほしいと思う。

    >「天才編集者」が生み出すスペクタクル… https://t.co/o9ALad1Kgk

  41. 「天才編集者」が生み出すスペクタクルと縁故主義 https://t.co/Sb2BzUGK1w
    とても共感した記事

  42. 箕輪さんって意外と昭和マインドなところがあるよね。
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  43. https://t.co/1SN60oR2Dl

    「自らのハラスメント行為が明るみに出た際、社会に対して徹底的に『軽い』言葉と態度で臨み、普段から彼を推していた『内輪』の人々は社会に対して沈黙し、彼が主宰するオンラインサロンは社… https://t.co/q38gParMS9

  44. 「天才編集者」が生み出すスペクタクルと縁故主義 https://t.co/4dqoUZWcqm

  45. 見: 「天才編集者」が生み出すスペクタクルと縁故主義 https://t.co/tuPWKrFXkg

  46. 「天才編集者」が生み出すスペクタクルと縁故主義 | 百万年書房LIVE! https://t.co/qzT9cokjdl

  47. あー、納得感がある。いるよね、彼みたいなのが好きで細かい事とかききたくない! って感じで破天荒エピソードをまき散らす成功者をありがたがる新自由主義者“昭和期のホモソーシャルな出版界のリバイバリスト” / “「天才編集者」が生み出す… https://t.co/uW4KWACCf2

  48. 「天才編集者」が生み出すスペクタクルと縁故主義 https://t.co/alFzR7GzXd

  49. 「人文系版元やアカデミアの人間が鼻で嗤う内容の書籍であっても、小売の現場ではやはり「売れること」は力を持つ。」 / 他100件のコメント https://t.co/gqw824JzMi “「天才編集者」が生み出すスペクタクルと縁故… https://t.co/6nF9tBWITF

  50. 「天才編集者」が生み出すスペクタクルと縁故主義 https://t.co/RdZPoqcI4Z

  51. 「天才編集者」が生み出すスペクタクルと縁故主義 | 百万年書房LIVE! https://t.co/ylnFJzvZIA

  52. 男子校ノリね…

    『「俺ほど男子校的な人いないからね。男子校とかに、本当に無神経で悪気がないやつっているじゃん。そういう感じだからね」』『男子校ホモソーシャル的な「内輪」ノリを前提としてイキり、悪態をつき、自らの性的加害行為を矮小… https://t.co/txmS1Cde02

  53. 有力者の顔色を伺い、媚び、「ダンマリ」を決め込むような卑しい人間になるな。公共性のために自分が何を出来るのか考え、行動しろ。自分で自分にそう語りかけることができるか否かが、出版業や書店業に限らず、何かを考え行動していくあらゆる場面… https://t.co/ZvAIHDZ10k

  54. 箕輪厚介氏の件を箕輪氏のみならずその取り巻きに対してもものすごい火力で徹底的に叩きのめす文章。すごい。 / “「天才編集者」が生み出すスペクタクルと縁故主義 | 百万年書房LIVE!” https://t.co/T2Or5zyK8g

  55. 縁故主義と公共性について。

    『「天才編集者」が生み出すスペクタクルと縁故主義』

    https://t.co/SiaJHpR7Xg

  56. 「天才編集者」が生み出すスペクタクルと縁故主義 https://t.co/R34LJsRxKD
    箕輪厚介氏の件について細密に論じた記事。
    あとで読む。

  57. 長いけどの読み応えのある文章
    https://t.co/CzTpqNjdjP

  58. まさに百万年書房さんの、このブログに書いてる通りですよね。
    https://t.co/epp9htLzH9 https://t.co/qKnpULzotH

  59. 「縁故主義に浸かった卑屈な仕事をするな。コネに頼るような卑屈な態度をとるな。有力者の顔色を伺い、媚び、「ダンマリ」を決め込むような卑しい人間になるな。公共性のために自分が何を出来るのか考え、行動しろ。」
    映画業界も耳の痛い記事。… https://t.co/GCVcX4iLbP