2025年10月16日 夕方公開終了

文=堀静香

週末、文フリ福岡へ行った。ブースで参加するのは3度目で、夫が編集している『哲学対話日記』というZINEを手売りした。合わせて、この連載の版元である百万年書房の北尾さんも隣接ブースで出店と、にぎやかな場となった。一昨年はそれこそ、百万年書房のブースで一作目の『せいいっぱいの悪口』を手売りするため、北尾さんがわたしの住む宇部市に前泊して、翌日車で一緒に向かったのだった。それで今年も、同じ行程で二日間ご一緒させていただいた。
前日土曜日はわたしが岡山で短歌の仕事があり、そちらはそちらでたっぷり充実した時間を過ごしたのち、とんぼ返りで山口へ戻り、先に宇部に着いていた北尾さんと合流して、ふたりで近所の焼肉屋に行った。元は夫が北尾さんをお迎えする予定だったが、このタイミングで夫が体調を崩し、翌日の文フリに備えて子どもと家で留守番、休養することになった(夫は悔しがっていた)。
お連れした焼肉屋は穴場中の穴場というのか、一応表に看板はあるものの、通りかかってふらっと入れるような構えではなく、けれど行けばあたたかく迎えてくれる超がつくほどの良店なのである。ふたりで肉を焼きながら、ビールをどんどん飲む。窓もドアも全開、秋の夜風ともうもうせめぎあう煙、暑いのか涼しいのか、とにかく疲れた身体にビールは染みる。
 
会話のなかで、北尾さんから「こういう、ほりさんのやばさがもっと文章にあらわれるといいんですけどね(意訳)」と言われる。翌日の文フリで配布予定のフリーペーパー、夫との往復書簡を先に読んでくれた感想だった。夫との手紙のやりとりのなかで、某激ヤバ事件についての詳細が書かれており、それはわたしたち夫婦にとっては茶飯事の喧嘩といえばそうなのだけれど、ひとたび往復書簡というかたちとなって、他者に読まれるとどうにもわたしの「やばさ」が炙り出されるということらしい。どうやばいのか、自分にわかるところと、まったくわからない部分がある。頷きながら、ビールをどんどん飲みながら、恥ずかしくてへらへらしてしまった。

翌日には快復した夫と、子どもとわたしと北尾さんとで車に乗り込み、山口から福岡を目指す。わたしの運転で、助手席に北尾さんが座り、二年前もこうして同じかたちで高速道路を走りながら、そのときは北尾さんに「もっと外に出たらいいんじゃないですかね」と、ふと言われたのだった。その後の二年で自分の書くものは変わったのかどうか、意識したところ、意識し切れないこと、どちらかというとその不随意な方面にしか自分らしさみたいなものはあらわれないのかもしれないけれど、言われたことを思って、覚えているいまがある。途中、ロングドライブに飽きてぐずる子どもに、夫が即興のおはなしを聞かせる場面で、まさかの北尾さんが寝かしつけられるという珍事(?)もありつつ、会場に着いた。
去年一昨年と参加した経験で、人の流れの感じや雰囲気を知って、文フリ東京のような目まぐるしさはなく、終始穏やかだった。とき折、子どもが気まぐれに「いらっしゃいませー」と言い、たまに人がブースの前で足を止め、冊子を手に取ってくれる。挨拶に来てくださる方がいて、毎年立ち寄ってくれる常連さんもいて、仕事の話につながりそうな、そういうゆるやかな会話がある。
書きたい人が集まるこの場はやっぱりふしぎだなと思う。書きたい人の「書きたい」にもさまざまな理由、背景、思いのグラデーションがある。わたしが2019年、初めて参加した文フリ東京では緊張のあまり一睡もできず、ほとんど吐き気とともに一日ブースで固まっていた。あのときのような差し迫った面持ちの人も、あの場にもしかするといたのかもしれない。飼い猫のブロマイドを配る人がいる、子どもにとお菓子をくれた人がいる、冊子を手に、「ペイペイでお願いします」と出しぬけに言われ、現金でお願いできれば、と返すと「現金ないです」。そこでフリーズしていると横から夫が「できますよ」と自分のスマホを取り出す。ペイペイは使ったことがない(なんか名前が許せない)。文フリはさすがに現金じゃないのか。福岡在住の、夫つながりの知り合い夫婦が立ち寄ってくれる、子どもが方耳イヤホンで見るドラえもんの映画(たまに「ママここ面白いから見て」と腕を引っ張られる)、多分知り合いだ、と思う間に通り過ぎてゆく人、立ち寄った人に気さくに本の魅力をアピールする北尾さん、じゃあこれとこれ、と買ってゆく人、自著を手に取った人を横でじっと気にしつつ、「それわたしが書いたものです」と言うとびっくりされ、悩んだ後、またブースに戻ってくれた人、あっという間というには長い5時間だった。

北尾さんを見送った帰りの車中、気づけば子どもも寝入り夫と一日をふり返る。「北尾さんに言われたわたしのやばさ(意)って君から見たらどんなところ?」と訊くと、「うーん、今日で言えばペイペイの人を無視したりするとこじゃん」と言われる。無視したことになってるのか。それはなんというか、人でなしってことで、また別方面のやばさな気がする。

往復書簡に書かれたこと、そこで炙り出されるわたしは、自分の正当性を疑わない。思い込みを思い込みのままに確信して、主張する。すれば夫はその一部を認め、謝罪する。後から言いすぎたことを、わたしが詫びる。全部そのくり返し、どうにもならないこと、お互いに簡単には直らないこと、直せないこと、これまでの数え切れない言い合いのなかで話しあう体力、気力が異常に長けたわたしたち。そうして話し合う癖に改善されないあらゆること、その夜も車で話したことを反芻して寝る前の布団のなかでずっと話していた。ごめん、うん、ごめん、おやすみ、そう言い合っていつも眠る。

言い合いの後のベランダやわらかい月の影まではじめて見た日

堀静香(ほり・しずか)

1989年神奈川県生まれ。歌人、エッセイスト。「かばん」所属。上智大学文学部哲学科卒。中高国語科非常勤講師。著書にエッセイ集『せいいっぱいの悪口』『がっこうはじごく』(百万年書房)、『わからなくても近くにいてよ』(大和書房)。第一歌集『みじかい曲』(左右社)で第50回現代歌人集会賞を受賞。