2025年07月17日 夕方公開終了
文=堀静香
前々回、ボーダーの服について書いたのだったが、普段着以外、つまり仕事着でもボーダー、もといストライプのシャツをわたしは着ている、ということを忘れていた。そうだそうだ、これもまたストライプ、と袖を通せばこうして思い出す。
水曜日は、ストライプ。そう朝起きて確認する。何年か前に、無印良品で買ったなんてことのない、青と白のストライプのシャツだ。襟の部分が、あれはなんと呼ぶのか、たしかスタンドカラー、その部分だけが白い。袖口のカフスも白く、そのような部分的に色の違う服、にもちゃんと呼称があったような気がする。ツートンカラーではないし、なんと言うのだったか、もどかしい。
その、まあよくあると言えばよくある、ちょっとポイントと言えばそうとも呼べるストライプのシャツが、職場でわたしを含む3人ぴったり丸かぶり、ということがあった。3人、揃いも揃って本気のお揃い、みたいな感じでむしろお互いこの状況に触れないほうが不自然なほど、とにかく似たシャツを着ていた。
「似てますね」
「似てる」
「めちゃくちゃ似てますね」
この、襟と袖口だけが白いところも、ストライプの細さ、そして色も。ひとりは女性の若い先生で、もうひとりはベテランの男性。わたしが年齢的には真ん中、という感じで並べばおそらく仲良し家族、みたいなふうに見えなくもない。
以降、3人の服が揃う日は、なかなかない。だってそのためには、申し合わせる必要がある。友だちならまだしも、わたしたちはいい大人で、ここは職場で。けれど3人のうちひとり、男性の先生だけが水曜日はこのストライプシャツ、と固定したようで、その姿を尻目に、わたしももうひとりの先生もそこまで意識しない、というかわたしは結局朝にはばたばたして手当たり次第に摑んだ服を着る。それで、水曜日に出勤すると、彼だけがくだんのストライプ、ということが何週かつづいて、ようやくわたしたちも重い腰を上げ(?)水曜日はストライプ、に乗り出したのだった。
水曜日、出勤するとふたりともストライプだ。わたしもストライプ。3人とも職員室の同じ「島」なので、よく目立つ。やっと揃いましたね。揃った揃った。周りも「すごい、完全にお揃いだ」「家族みたい」と盛り上がる。あのタイミングで「写真でも撮っときますか」と言えばよかったのかもしれない、といまさら後悔する。
その日以来、暑くなってきたこともあって長袖のストライプシャツはどうしても出番が減る。わたしはそれでも、もう自分のなかで「水曜日は青のストライプ」という頭があって、ほぼ無意識にこのシャツを着ている。ふたりは、違う柄の半袖を着ている。二学期以降、涼しくなればまた揃う日が来るかもしれない。
お揃いはうれしい。以前も、そういえば職場で黒のカーディガン(に、パールっぽいボタンが付いている)を着ていたところ、事務の女性が「先生が着てるのとすごい似てる服、私も持ってるよ」と、後日着て来てくれたことがある。ほら似てる。ほんとですね。そう言い合ってなんだかうれしかった。
やっぱりお揃いはうれしいのだ。もちろん、嫌いな人とのお揃いはごめんだ。といって、ストライプの2人も、普段ものすごく親しく話すというわけではない。あくまで職場の人。同じ島の先生たち。だが、なぜだかこんなにもうれしい。
お揃いと言えば、昔は恋人(のちの夫)と何かにつけてお揃いのものを買い合った。わたしがそうしよう、と強く言ったのだろうか。クリスマスだの誕生日だの記念日だの、プレゼントと言えばお揃い。ブレスレット、腕時計、マフラー、スニーカー、その他諸々。
思えばそれらすべて、いまはもうない。売ったもの、処分したもの、あんなに意気込んで買ったくせに、ブレスレットはすぐにちぎれて(わたしは怪力)、マフラーはよく巻いたが、いっぽう夫はあまり身につけなかった。スニーカーはそれなりに履いて、履きつぶした。
10年前くらいだろうか、当時流行っていたダニエルウェリントンというブランドの腕時計もお揃いで買ってしばらくよろこんでつけていたが、30歳で新しい腕時計を買って以来、わたしのほうではお揃いの時計はめっきりつけなくなった。夫は頓着というか特にこだわりはなく、まだ使っている。わたしのダニエルウェリントンはその後、近所のフリーマーケットに出品して、おじいさんが嬉々として買って行った。つまりいま、夫と見知らぬおじいさんがお揃い、ということになる。
親子のリンクコーデ、というのもよく耳にする。子が4歳のいま、恥ずかしいと拒否される前に一度くらいやっておくべきなのかもしれない。けれど、たまに町で見かけるそういった親子や家族のリンクコーデを見ると、なんだかこちらが恥ずかしい。あなたたちが親密なことは、もうわかってますよ、というようなちょっとうんざりする感じもある。もちろん、否定するわけではない。誰が何を着たっていい。ただ、他の家族をそうやって見るたびに、やっぱりわたしは子や夫とお揃いはしなくてもいいかな、とぼんやり思う。
だからこそ、なのかどうしてなのか、職場での奇跡のようなお揃いがわたしはうれしかった。なんだか、感じたことのない安心感さえあった。2人の先生の私生活のことは、よく知らない。日々どういう暮らしをしているのか、ひとり住まいなのか家族がいるのか。お酒は飲むのかテレビは観るのか。何も知らず、ただわたしたちは水曜の朝、クローゼットから青いストライプのシャツを引っぱりだして、袖を通す。お互いの知らない暮らしの先に、いっときの偶然が生まれる。おんなじだ、ほんとだめっちゃ似てる。そう一瞬湧きあがったよろこびのことをきっと何度も思い返す。
いいんだよ 私もひどいよ きみからのひかりの指輪は質屋に流す/柴田葵
堀静香(ほり・しずか)
1989年神奈川県生まれ。歌人、エッセイスト。「かばん」所属。上智大学文学部哲学科卒。中高国語科非常勤講師。著書にエッセイ集『せいいっぱいの悪口』『がっこうはじごく』(百万年書房)、『わからなくても近くにいてよ』(大和書房)。第一歌集『みじかい曲』(左右社)で第50回現代歌人集会賞を受賞。