2025年07月10日 夕方公開終了

文=堀静香

梅雨入り宣言の翌日、雨のなか健康診断に行った。いつもの自転車で、片手に傘をさして(折り畳み傘は風に煽られてすぐに引っくり返る)会場へゆく。この一週間の天気予報はずっと雨、それだけで気が滅入る。
子どもの保育園の送りついでにそのまま来たから、ずい分早く着いてしまった。早く行ったら前倒しで受けられるんじゃない、と夫は言ったが、受付で掛け合うと「事前に予約した時間で」とのことだった。まあそりゃそうだ。予約時間まではきっかり2時間ある。早速ベンチに腰をおろして本を読んだり、スマホで原稿を練ったり、雨風さえ凌げれば長い待ち時間に絶望することはない。平行して特定検診もあるらしく、どんどん人がやってくる。受付の女性がひとりずつ「今日は、肺がん、乳がん、骨粗鬆症!ですね!!」と確認する声がロビーに響いている。いちいちあまりに元気いっぱいで、ちょっと削られる。

そもそも二日酔い、というのがいけない。昨日は保育園の友人宅に招かれて、バーベキューをした。何家族も集まって、それぞれ酒や肉やら持ち込んで、大にぎわいの一日だった。庭を駆けまわる子どもたち、うまい酒、うまい肉、酒池肉林(?)とくれば酔っぱらわないわけがない。後で送られてきた動画では家主の吹くオカリナにあわせて数人で踊っていたが、覚えがない。子どもたちがスイカ割りをしている写真もあったけれど、いったいどのタイミングでそんなイベントがあったのだろう、とはさすがに聞けなかった。夫からも、家に帰るや床に倒れ込むし起きたと思ったらこっちにツバ飛ばしてくるし、それであーちゃんも(子ども)泣くし、なんかもう最悪だったよ、と言われた(もちろん見事に覚えていない)。

そんな二日酔いの人間が健康診断など受けて、それは有意義と言えるのだろうか。仮にある数値が悪かったとして、それがこの暴飲暴食によるものなのか、普段からのものなのか、判断できない。と薄ら後ろめたく思いつつ、検尿、身体測定、血圧など進んでいった(夜のうちにすべて吐きだしたからか、体重は思ったよりも軽かった)。
何より健康診断自体、数年ぶりだった。勤務先で定められておらず、といって自分では面倒で受けず、年一回の献血を健康のバロメーターにしていた。このたび夫の扶養から外れることになり、保険証が変わって市からお知らせが届いた、といういきさつだった。

そう思えば、こういう集団の健診、というもの自体初めてかもしれない。さまざまな年齢の市民が、ぐるぐる各ブースを回る。採血の際、ついこれまでの癖で縛られた腕から大きく目を逸らして待機していると、「大人になったって、嫌なもんは嫌よねえ」と看護師さんに同情を寄せてもらい、ちょっと恥ずかしかった。
 
予約時間の一番乗りだったからか、あっという間にすべて終わった。最後に問診表を渡す際、「今日二日酔いだったんですが、大丈夫でしょうか」と訊くと、「あんまりよくないですけどねえ」と苦笑され、けれど特に驚かれもしなかったのでそういうことはよくあるのかもしれない。
外に出ると、雨はほとんど降っていない。このまま帰ろうかと思ったけれど、ちょうど昼時だし、と「資さんうどん」へ立ち寄る。一度通り過ぎたところ、少し迷って引き返して店に入った。ふだんひとりであまり外食しないのは、何を食べたってひとりであればすぐに忘れてしまうからかもしれない。二日酔いの健康診断の日、に食べたうどん、というちょっとしたイベントにすることで、初めてささやかな思い出になるような気がする。
資うどんは九州のチェーン店だが、関東に初出店した際にSNSでけっこうな話題となって、地元の人間からするとそんなにか? とわりと冷めた気でいる。ほか、いわゆる福岡の「やわらか系うどん」で言えば、ウエストだとか、牧のうどんなどが有名だ。

だがわたしはアンチ、とまでは言わないにせよ、資うどんを認めていない(じゃあ来んなよ)。何をエラそうに。いや、というのもですね、やわらか系うどんであれば、どこよりも「うどんのどんどん」がおいしいのだ。どんどんは主に山口県内のうどんチェーンで、安価で出汁が滋味深く、すり鉢に山盛りのねぎがかけ放題なのがいい。開店から一時間のみという限定のモーニングメニューも破格でありがたい。

とかなんとかつべこべ言いながら、資さんうどんでは定番の肉ごぼ天うどんを食べた。食べながら、(やっぱりどんどんだなあ)と思って、それを確認するために食べているような気さえして、なんだか悪かった。唯一、「資」と書かれたピンクのかまぼこがかわいくて、なんだか憎めない。店内はさまざまな客層でにぎわっていて、このあたりで24時間営業というのはほかになく、重宝されているのだろう。隣の夫婦と思しきふたり組のうち男性が、「似て非なるものなのです」とおどけた感じでメニューを眺めており、何の話だろう。各うどん店の、微妙な違い。資さんうどんはねぎの代わりにとろろ昆布が各卓に置かれて、それがポイントな人もきっといる。
レジでふいに「こんにちは」と声をかけられて、気づけばこの春卒園した保育園児のお母さんだった。まあこんなところで。そうなんですよ。ひとりの昼のゆるんだ感じ、を見られていたかもしれず、ちょっと照れながらおいしかったです、また来ますと言って店を出た。あんまりだったし、もう来ないです、なんて言えないし言わない。でもあの「資」かまぼこは、なんだか好きだ。資さん、はすけさん、と読む。すけさん、かくさん、のすけさんうどん。雨はまたちょっと降りだしていて、急いで傘を片手に帰った。

 じゅうぶんに生きた気もする雨の午後誰かの菓子を勝手に食べる/山川藍

堀静香(ほり・しずか)

1989年神奈川県生まれ。歌人、エッセイスト。「かばん」所属。上智大学文学部哲学科卒。中高国語科非常勤講師。著書にエッセイ集『せいいっぱいの悪口』『がっこうはじごく』(百万年書房)、『わからなくても近くにいてよ』(大和書房)。第一歌集『みじかい曲』(左右社)で第50回現代歌人集会賞を受賞。