2025年05月08日 夕方公開終了

文=堀静香

今年の桜は長かったな、と思う。じわじわ咲いて、なかなか散らない。満開になればあっという間に散って葉桜になるイメージがあるけれど、雨に遭っても風に吹かれても、ずっと花をひらいたまま。家の近くに桜の木がないので毎日じっくり観察することはないが、通勤のたびに見ては、まだ咲いてる、まだ散らない、と感心するのだった。
週末には花見をした。夫の職場つながりで、その家族やお連れ合いを含めてにぎやかな場だった。大小カラフルなレジャーシートをパッチワークのようにつないで、持ち寄った寿司やらケンタッキーやらを広げて、何より外で飲む酒がおいしい。大きな湖のある公園の桜は見事で、バーベキューやらなんやらほうぼうで宴会が開かれている。家族だけでしっぽりやるよりも、わたしは年々、にぎやかな花見が好きになる。子どもの頃に家族で海水浴に行ったとき、両親は人の少ない岩場を選んだけれど、わたしはパラソルのひしめくにぎやかなエリアのほうがよかった。そんなことを思い出す。

花見の席に、夫の同僚のお連れ合いが東京から遊びに来ていた。いまは遠距離恋愛中で、山口に移住することも考えてはいるが、なかなか踏ん切りがつかないという。「地方に住むってやっぱり大変じゃないですか?」と訊ねられる。結婚を機に福岡から山口にやってきたAさんとわたしで、地方って言ったってそこまで不便じゃないし、なんだかんだ慣れますよ、大丈夫。と明るく背中を押す。けれど東京に住み慣れていれば、離れがたいのも十分わかる。共働きであればなおのこと、どこに(ともに)暮らすのかという選択は難しいし、そう簡単に決められることではないはずだ。
と言いつつわたしの場合は、東京を離れるということに自分でも意外なほど、わくわくした。教員であればどこに住んでも仕事はあるだろう。そもそも一年契約の非常勤だから辞めることにもさほど気兼ねはない。結婚を機に住み始めた練馬の新居をたった一年で離れるのはもったいない気もしたが、どこであれ「住めば都」になる自信がなぜかあった。基本あらゆることにまずはネガティブな姿勢をとるくせに、むしろこういう大きな決めごとにはどういうわけか、ものすごく楽天的なのだった。
まあそれも、実家は横浜にあって盆や正月はもちろん、思い立てばいつでも帰ることができるし(幸い、自宅から徒歩圏内に空港がある)、ここは終の住処ではないと心のどこかで思っているからこその鷹揚さだったのかもしれないのだけれど。

そうして気づけばここへ来て8年が経つ。まったく縁もゆかりもない土地であっても、かつそこまで積極的にかかわりをもつほうではない、とはいえそれなりに知り合いや友人はできる。学校で働き始めれば、嫌でも職場の付き合いや、生徒たちとの交流がある。子どもが生まれて保育園に入って、昼酒をともにするようなママ友もできた。
こちらに越してきてすぐ、電車が一時間に一本しかないと知って車の免許も取った。これまで車というものに縁のない生活だったから、チャイルドシートに子どもを乗せて運転する日が来るなんて、東京にいた頃には想像もできなかった。そうか、わたしはこういう想像もしなかったような自分の姿に、ここへ引っ越すと決まったあのときから勝手にわくわくしていたのかもしれない。

4月は、夫もわたしも新年度でばたばたしている。のんびりしていた春休みから気持ちを切り替えて、早く起きるようになった。朝の身支度を終えて夫は車で出勤、わたしは子どもを自転車の後ろに乗せて、保育園へ向かう。支度がスムーズにすんでいつもより早く子どもを送り届けた後、入れ違いで保育園へ出勤する先生、給食の先生、クラスのママ友と立て続けにすれ違う。相手はみんな車だから、気づいてもらえるようにこちらから大きく手を振って、そうして手をぶんぶん振るような知り合いに次々会って、たまたまタイミングが重なっただけなのだけど、なんだか不思議でおかしかった。
東京だろうが地方だろうが、どこに住んでも面白い人や素敵な人はたくさんいて、だからどこにいたってそういう人には出会えるものである、なんて書けばたちまち教訓めいてしまって、野暮なことである。そういうことが言いたいわけではないんだけどな。というかそんなことはわたしが言うまでもない。どこにだって愉快なことはあって、愉快な人がいる。当たり前のことを当たり前のこととして、けれど実感しないとわからない。何度も何度も、あたたかくなったと思ったら今日は花冷えで、風も強くてもうきっと、さすがに桜も全部散るだろう。

 東京に一年住んでいたことをみじかい曲のように取り出す

堀静香(ほり・しずか)

1989年神奈川県生まれ。歌人、エッセイスト。「かばん」所属。上智大学文学部哲学科卒。中高国語科非常勤講師。著書にエッセイ集『せいいっぱいの悪口』『がっこうはじごく』(百万年書房)、『わからなくても近くにいてよ』(大和書房)。第一歌集『みじかい曲』(左右社)で第50回現代歌人集会賞を受賞。