大森靖子02-政治的ではない政治性

2019年03月11日 夕方公開終了

文=T.V.O.D

パンス 大森靖子について語るにあたり、前回は大槻ケンヂとの比較が出たね。特撮「ヨギナクサレ」の歌詞やMVには、日本の学生運動で使われてたような言葉が散りばめられていた。何かエネルギッシュなものを現出させるための表象的な引用といえるけど、頭脳警察を引用することで、歴史的な文脈がなんとか押さえられているんじゃないかな。単純に、そこからかつての歴史を辿る入口は作られていると思う。しかし、例えば「赤軍派に感化される必要はない」(ナンバーガール)から、赤軍派について調べていく、みたいなのは難しいんじゃないかな。文脈が抜けて、アイコンのみになっていった。これはその影響下にある椎名林檎においてもそうで、もはやそこで選択されるのは右っぽくても左っぽくてもよくなっていく。ーーみたいな状況が作られたことが、昨今の「政治的な言葉」を導入するポップスの問題に繋がっていくんだろうなと考えている。
いっぽう大森靖子は、そういうアイコンをバンバン出していくというスタンスではないよね。だからといって、表象ではない明確なプロテストーー「政治的なことを唱える」存在でもない。しかしそれでも帯びている政治性というのは何なのか!?  ってところを検証していきたい。

コメカ 銀杏BOYZのDVD作品のタイトル及び楽曲タイトルに、「僕たちは世界を変えることができない」っていうのがあるんだけど。峯田和伸自身はこのフレーズを何となく無意識に思いついたみたいなんだけど、このタイトルって、オトコノコ的な不能感とそこからの逆ギレ的暴走、みたいな銀杏の表現の在り方をすごくよく象徴しているなーとぼくは思っていて。この連載のBUMP OF CHICKEN編星野源編でも話したけど、銀杏BOYZの活動というのも、歴史や社会・政治から切断された存在が、エモーションを失わずに生きるためにはどうしたらいいのか、っていう試行錯誤みたいなところがあったと思うんだよ。そこで選択された方法論が、性愛への過剰な没入や異性の偶像化だったり、ホモソーシャル的な関係性から発生する妄想的なエネルギーだったりしたわけよね。大槻ケンヂが取り組んだ「オトコノコの自意識」みたいな問題系は、ゼロ年代の峯田にとってはより不可能性を増した問題になっていったというか、「童貞フォーク少年、高円寺にて爆死寸前」的な、表面張力ギリギリの切羽詰まったものになっていったと言える。で、大森靖子も銀杏BOYZに非常に大きな影響を受けている表現者だけど、彼女はその影響をあくまで「自分自身の身体」で咀嚼し直していると思うのね。彼女が「女の身体」というものを通して社会的に生かされているなかで作り出している言葉や音というのは、大槻ケンヂ~峯田和伸的な取り組みに影響を受けながらも、彼らよりもさらに社会との軋みが大きいものになっていると思うんだ。そして、ぼくがなぜ彼女の表現が結果的に政治的なところまでリーチしていると考えているかというと、そのあたりに理由があるんだよ。

パンス ふーむ、「咀嚼し直している」というのは具体的にどういうことなんだろう。まずジェンダーの相違というのはあるけれども。

コメカ この社会のなかでは、「女」として眼差される身体というものがある。その身体の持ち主自身の性自認の在り方を無視した、ある意味暴力的な形で、人間は他者を「女」として眼差すことが往々にしてあるよね。そして大森靖子もまた、「女」として眼差される身体とともに生きてきた表現者であるわけだ。大森は峯田と一緒に銀杏の「駆け抜けて性春」をライブで演奏したことがあるんだけど、そこで原曲ではYUKIが歌っていた「わたしはまぼろしなの あなたの夢の中にいるの 触れれば消えてしまうの それでもわたしを抱きしめてほしいの」というパートを、「わたしは幻じゃなくて実態だし、わたしの人生を生きてここまで来たから絶対夢なんかじゃない歌い方でどす黒く歌ってやる!」と思って歌った、と発言してるのね。実際その映像を観ると、大森のボーカルには原曲のYUKIのドリーミーな雰囲気は無くて、歌い手自身の苦痛を感じさせるようなヒリついたものになっている。でね、ぼくは、峯田が「女性」を偶像化して祈りを捧げたこの曲に対して、こういうボーカルで返答した大森の在り方に、峯田がたくさんの楽曲で示してきたメッセージに対して「人間として」ガチで返答しようとする、彼女の気迫を感じるのね。峯田の祈り方ははっきり言って「オトコノコ」の身勝手なものなんだけど、その祈りの強度や切実さがたくさんの人を救ってきたことは間違いなくて、大森もそのうちのひとりだったと思う。でも、大森は「女性」として眼差される身体を持った人間であるわけで。峯田が「女性」を眼差す自身の視線のなかに込めた祈りを、大森は正面から受け止めて逆照射している。そして、大森のその逆照射は、峯田や峯田のような人々を断罪するものではなくて、救済するものになっていると思うんだ。まぼろしの「女性」に対して祈る爆死寸前の童貞フォーク少年に、「女性」を生きさせられている生身の人間が、力強くレスポンスを返している。あらゆる者は「人間」であって、あなたもわたしもまぼろしではない、わたしもあなたも、自分自身のままで十二分に美しいのだ、というような肯定的な意味合いが、ここには生まれていると思うんだよ。銀杏にただ憧れるのではなくて、自分自身の身体でそれを咀嚼するというのは、そういうこと。

パンス なるほどなあ。バトルするんじゃなくて、峯田和伸、そしてそのオーディエンスが持っている思考の様式とのコールアンドレスポンスになってるんだね。このインタビューでも発言してるけど、騒いでる子どもに怒鳴るおっさんに遭遇するくだり。事態が発生したらその場にいたおばあちゃんもおっさんに賛同したり、おっさんの連れの女性に揶揄されるところまで含めての地獄な状況を捉えている。この(日本)社会は地獄である。そして闇(病み)を抱えている、ということに対して極めて真っ当に対峙しようとしているよね。いま多くの人は、こういう状況をネタにするか、なかったことにするか、怒り狂うかしかできなくて、まあその反応自体をことさら責めるつもりはないんだけど、状況に対峙して曲に落とし込めてる人は少ないんじゃないかな。イ・ランさんの発言や行動にも通じるものがあるなと思った。韓国だと「ヘルチョソン」という流行語があるけど、日本だとネット上の「中世ジャップランド」とかあるけど、あんまりメジャーな単語じゃないな。日本人ってまだ自分の社会に対する期待値、正常性バイアスが高い。けれど、地獄はそこかしこにある。

コメカ 今の日本社会って、そのなかで生きている人間が「現実に向かい合う」ことが、とても難しい状況だと思うのね。特に、日本社会のなかにある抑圧性や機能不全を正面から捉えて更新していくことがすごく難しくなってしまっている。国家として衰退していってしまっていることを誰もが意識しているからこそ、その衰退を認めたくないばかりに正常性バイアスが高くなり過ぎて、「日本スゴイ」みたいなサプリメント的慰撫言説や、家父長制的な抑圧性へのバックラッシュによって人々が無理やり安定性を維持しようとしている状況がある。本当はもう崩壊が近いことに気づいているんだけど、だからこそ猛烈なバックラッシュに走ってしまう、という悪循環。ただ、大森靖子のように、そういう私たちのボロボロの「現実」を、そのままに当事者として生きて表現する人間もいるわけだよ。政治的な言葉やレトリックを脱臭して記号化していくかつてのサブカル的な方向性とは違っていて、当事者としてのリアリティを言葉で積み重ねていくことで、この国の政治的な現実を結果的に抉り出してしまっている。しかも彼女はメジャーデビュー以降、「モテたいモテたい女子力ピンクと ゆめゆめかわいいピンク色が どうして一緒じゃないのよ あーあ」(「マジックミラー」)、「目が覚めたら あたしはジャパニーズ 神様なのに化粧をしないと 外にも出れない 不便なからだ 革命途中よ どーしてくれるの」(「ドグマ・マグマ」)みたいに、遠くまで届く平易なレトリックで本質的なことを歌おうとしている。遠くまで届けようとしているということは、諦めていないということなんですよ。社会が崩壊しそうでも、例え焼け跡のような世界になっても、それでも他人とともに生きていくぞ、という気概があるということ。だからさっきの銀杏の話でも、彼女は「駆け抜けて性春」を男性中心主義的な表現として単純に断罪するのではなく、そこに「女性」を生きさせられている自分の側から誠心誠意レスポンスを返して、どこまでも生身の人間として峯田に対しても銀杏に対しても聴き手に対しても、無限にコミュニケーションを続けていく意志を表明したんだとぼくは解釈しているわけです。大森の凄さというのは、そういう風にあらゆることに当事者的に向かい合う「気迫」にあって。それは例えばアイドルという存在をどのように彼女が愛しているかということにも顕れていると思うんだ。次回はそのあたりの話を。(つづく:3/11更新、大森靖子03-「キャラクターと実存の往還」)

T.V.O.D.(てぃーゔぃーおーでぃー)

毎週土曜日、tumblrで政治や文化についての記事を更新しているテキストユニット。URL https://tvod.tumblr.com こめか/1984年生まれ。サブカルチャーや戦後民主主義が好き。テクノポップバンドmicro llamaのメンバー。Twitter @comecaML ぱんす/1984年生まれ。地図と年表を見るのが好き。Twitter @panparth

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  1. 大森靖子02-政治的ではない政治性 https://t.co/7bjAG7uVFb
    メジャーデビュー以降ってか道重さんと共演以降(て俺が勝手に思ってるだけ)大森さんが大森靖子に何をさせてきたか編だー来週に続くーうれしいー永遠に続いてくれー

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  3. コメカとパンスのTVOD、百万年書房LIVE!での連載「ポスト・サブカル焼け跡派」、大森靖子編第2話です。

    「峯田が『女性』を眼差す自身の視線のなかに込めた祈りを、大森は正面から受け止めて逆照射している」

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  7. この記事は、政治というのが党派性と結びつきやすい日本において、「個々人が日常生活の中でいかに政治と向き合うか」についての話でもあると思います。

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  8. “政治的な言葉やレトリックを脱臭して記号化していくかつてのサブカル的な方向性とは違っていて、当事者としてのリアリティを言葉で積み重ねていくことで、この国の政治的な現実を結果的に抉り出してしまっている”/大森靖子02-政治的ではない… https://t.co/H66BI2j24a

  9. 誰でも凄いと思う事をどうして凄いか説明するのが批評だと誰かが言ってた気がするが、いまんとこは凄いと思っている事しか伝わってこない。さてさて。

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  10. この対談たいへん明瞭で最高

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  12. 素晴らしい記事…次回も楽しみ!!!

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    「遠くまで届けようとしているということは、諦めていないということなんですよ。社会が崩壊しそうでも、例え焼け跡のような世界になっても、それでも他人とともに生きていくぞ、という気概があるということ。」

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    私が漠然と思っていたことが全て言語化されてた すごい

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    「駆け抜けて性春」のエピソード知らなかった。でもこの人が『ドキュメンタル』を絶賛していたのにちょっと違和感を覚えたんだよなあ。