秋元康03-秋元康という「主体」と、その責任

2019年02月18日 夕方公開終了

文=T.V.O.D

パンス 前回コメカくんがとりあげた「高田馬場で全力疾走する学生たちを見て涙が出る」秋元康、というエピソードがあったけど、「クラブ活動後に髪の毛ぼさぼさで制服のまま走りこんできて、汗をかいて座っているような子がいい」という発言もあった(秋元康×田原総一郎『AKB48の戦略!』)。やたら「全力疾走」にこだわってるんだけど。「素人」がスターダムにのし上がる、というのは秋元康に限らず80年代以降のメディアにおけるひとつのキーワードだと思うんだけど、完全にプロではない、力の抜けたラフな状態ではなくて、ラフなんだけど必死なアプローチーー「全力疾走」を求めてしまうところが気になるんだよな。それを見守ってる秋元康自身、もしくはオーディエンスという存在が前提になってる。

コメカ 自分自身が全力疾走するのではなくて、全力疾走する少年少女を見つめている、みたいな秋元の視点の在り方が気色悪いな~といつも思うんだけど(笑)。彼はおニャン子クラブにしてもAKB48にしても、「少女たちを見つめる視線」をいかにつくりあげるか、という仕事をしてきたわけだよね。アイドルとしての少女たちの「消費のされ方」をプロデュースしてきた。俳優やミュージシャンのようなアクターとしてではなく、放送作家という裏方業からキャリアをスタートさせた人だから、「他人をいかに演出するか」という作業が彼の仕事の主軸になる。ただ、たとえば「ひょうきん族」やとんねるずがテレビ業界の楽屋落ち的なネタを多用したように、80年代という時代においては、演者よりも裏方の方にスポットが当たる機会も多かった。そういう状況のなかで、秋元も業界における新世代の旗手のような扱われ方をしたわけだけど。ただ、そうやって秋元の名前が前面に出てくるようになっても、この人は自身の内面吐露的な自己表現の方向には行かなかったんだよね。一応はセルフ・アイデンティティの置きどころとして見出したっぽい「作詞家」という仕事についても、そのキャリアのなかで自身の作家的な自意識や内面を形作っていく方向には行かなかった。そして彼は業界の大御所になって以降も、「ピカソになりたい広告代理店マン」とか「詐欺師」みたいな自己認識をしているアピールをするわけね。自分は作家ではなく、広告屋に過ぎないんだと。ただ、そうは言いながらも、いい歳をして「高田馬場で全力疾走する学生たちを見て涙が出る」みたいな妙にピュアなセンチメンタリズムは内包している。社会レベルにおいては冷徹な広告屋だが、個人レベルでは思春期的なセンチメンタリズムに捉われている、という。こういう人が少年少女の「消費のされ方」をプロデュースするとき、どういう倫理観がそこにあるんだろうな、と思うのね。AKBのメンバーに秋元は「先生」と呼ばれていて、秋元自身も彼女たちのことを「娘」だと思っているという旨の発言がある。おニャン子のときは「兄」ぐらいだったタレントとの距離感が、当たり前だけど時間とともに変化しているわけだよね。行使できる力も、持たされる責任も大きくなっている。そして、素人の女の子のラフさを垣間見せることで成立していたおニャン子のときと違って、AKBというのはそれこそ少女たちに「全力疾走」させる環境をつくることで成立している。いまの秋元は「娘」たちに「全力疾走」させる男であるわけだ。ぼくはそこにどうにも気色悪さを感じるというか、冷徹な広告屋として自分が用意したシステムの上で「娘」たちが「全力疾走」しているのを見て涙する、みたいな奇妙な男の姿を感じてしまうんですよ。ビジネスへの意志とセンチメンタルな感傷がそこにあることはよく分かるけど、「娘」と呼ぶような少女たちの実存に対して秋元がどう考え向き合っているのかはよく分からない。彼女たちの人生に対してリアルタイムに力を行使している以上、そこに倫理的に向き合う責任が彼にはやっぱりあると思うんだけど。

パンス 田原総一朗による「秋元康が仕掛けてると分かると、みんな引いちゃうんじゃないの?」という質問には、「場を作っただけ。その場で彼女たちが格闘し成長していく過程を、僕がコントロールしたわけではない」と答えている。マーケティングとか仕掛けの話に関して饒舌だけど、実際にプロデュースされる側に対しては、距離を置きたがるというか。しかし突き放してるわけでもないんだよなあ。先生みたいにも振る舞ってるんだけど、だからといって別にマウンティングしまくっているともいえないし。みたいなこと?

コメカ 少なくともAKBグループに関しては、確かに秋元康ひとりが完全に制御しているような代物ではない。実際、彼が言うように「場を作っただけ」、つまりAKBというシステムを秋元が作っただけであって、ソーシャルメディア上でのコミュニケーション等も含めたその活動を通してAKBの個々のメンバーのキャラクターが形成されていくプロセス全体は、秋元にも制御不可能なものだったと思う。たださっきも言ったけど、そういうシステム=環境作成に携わることに対する彼の倫理というのはどういうものなんだ? と思うわけ。「主体」としてそのシステムの形成に関わる秋元康という人間は現実にやっぱりいるわけでしょ、当たり前だけど。AKBというシステム=環境は自然の生成物ではないんだから。「場を作っただけ」で、その「場」に参加したプレイヤーたちがどうなろうが、それは基本的に自分にとってはコントロール不可能なものなんです、みたいな物言いって、まあ端的に言って無責任だよね。AKBグループに関するトラブルにおいて秋元が主体的に説明や謝罪をしないのは、結局そういう考え方が背景にあるからなんじゃないのか。AKBにおいては秋元もシステム=環境の調整者でありながら同時にひとりのプレイヤーでしかない、つまりAKBは秋元個人がコントロールし得るものではない、みたいな物言いが、結果的に秋元を免罪してしまっている。都合のいいときにはセンチメンタルに涙するけど、トラブルが起きたときには自分はただの広告屋に過ぎない、と居直る処世術を感じるんだよ。

パンス 環境を管理する主体の問題というのは、主にゼロ年代以降、WEBサービスやらについて語るときに出てくる話だったけど、まあわりと近いのかな……。数年前には、AKB48などをそういう観点から批評する方法論もあった。「宗教」そのものなんて評する人もいるけど、興味深いのは、そこにグルとしての秋元康が鎮座してる、みたいな図じゃなくて、実際にステージにいる女性たちに崇高さを見出しちゃったりしてて、どうも奇妙な部分がある。

コメカ 前回言及したように、彼は人々の「他者を見つめる視線」を敏感に感じ取り、そこにある欲望を盛り上げる。日常の世界のなかでの「他者を見つめる視線」は、それこそ例えば恋愛における片想いのセンチメンタリズムであったりするわけだけど、それが消費文化においてはビジネスに化ける。アイドルカルチャーというのはそういう視線のやりとりを商売にしたものだから。AKBはそれまでのテレビ時代のアイドルと違って、ソーシャルメディア時代の双方向性的な環境に対応したアイドルなんだ、みたいな物言いがあるけれど、確かにいま現在の情報環境のなかで「他者を見つめる視線」をいかに扱うかという問題に対して秋元が提案したシステムは、ビジネスとしてはベストアンサーだったと思う。劇場展開や総選挙等のシステムを通して、メンバーたちを見つめる視線の熱量をユーザーたちはどんどん過剰なものにしていったわけだよね。今の時代に「他者を見つめる視線」の熱量を増幅させることに一番成功したのが秋元だった。でも何度も繰り返すけど、そうやって人々の「視線」を増幅させたことについて、秋元は倫理的な責任を負わなくてよいのか? という問題があると思うんだ。そのあたりについて、次回さらに話します。(つづく:2/18更新、秋元康04-「実存」と「システム」)

T.V.O.D.(てぃーゔぃーおーでぃー)

毎週土曜日、tumblrで政治や文化についての記事を更新しているテキストユニット。URL https://tvod.tumblr.com こめか/1984年生まれ。サブカルチャーや戦後民主主義が好き。テクノポップバンドmicro llamaのメンバー。Twitter @comecaML ぱんす/1984年生まれ。地図と年表を見るのが好き。Twitter @panparth

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  6. 典型的なコンサル屋だなあ。企画立案の結果責任すら回避する連中。

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  7. 『責任』ほんまそれ、で。

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  8. 秋元康の気持ち悪さ、昔何かで読んだエピソードを思い出した。
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  9. 人をガッツリ引き受けた以上、どうしても湧いてきちゃう情、みたいな感情がぜんぜん見えてこないのにセンチメンタリズムだけ語られても…とわたしは戸惑ってしまう。

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  10. 「場を作っただけ」で、その「場」に参加したプレイヤーたちがどうなろうが、それは基本的に自分にとってはコントロール不可能なものなんです、みたいな物言いって、端的に言って無責任だよね。

    それな!です

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  11. 「「場を作っただけ」で、その「場」に参加したプレイヤーたちがどうなろうが、それは基本的に自分にとってはコントロール不可能なものなんです、みたいな物言いって、まあ端的に言って無責任だよね。」

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  12. 「でも何度も繰り返すけど、そうやって人々の「視線」を増幅させたことについて、秋元は倫理的な責任を負わなくてよいのか? 」
    今まさに問われていることで、これを放置すれば崩壊はもっと早くやってくる気がします。

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