12-「そっちでいくのかよ」

2023年03月26日 夕方公開終了

向坂くじら(さきさか・くじら)

わたしが障子をぶち破いた瞬間、背後で夫がため息をついた。これはいけない。絶対に怒られる。
まず本件、本棚の棚板を取り付けるのにがちゃがちゃ適当にやって手をすべらせた挙げ句障子に突撃させた、一点の曇りもなくわたしに由来するヒューマンエラーである。もちろん数秒前に「そんなに乱暴にやらないで」と言われていたし、その前には「障子の近くでやると危ないから、部屋の真ん中で棚板を入れてから運んだら?」と助言があったのを、「重たくなるからヤダよ」とわたしが断っている。そもそもこの本棚は、わたしが本を買いすぎて家じゅうに散乱させたために夫がここまで組み立て、「棚板の位置はきみが決めるほうがいいでしょ」と渡してくれたものだ。とどめに、この家は夫の実家から譲りうけており、夫にとって家のなにもかもは亡くなった大叔母の遺品である。絶対に怒られる。
おそるおそる振り向くと、「別に怒んないよ」という。おや。「怒んないけどさ。でも絶対そうなると思ってたし、気をつけてって言ったよね。別にもうしかたないから、いいけどさ」
なんというやさしさ。しかしわたし、ここでまさかの逆ぎれ。
「おいっ! 寛容さと正しさ、どっちも取ろうとすんな。どっちか諦めろ!」
ようは、「妻のミスをとがめない、寛容な夫」ぶりを見せているくせ、もののついでに「気をつけてって言ったよね」などと自分の正当性まで勝ち取ろうとしてきたのがむかついたのだった。それはちょっと、欲張りすぎる。人間の感情というのはそう単純にいかないとしても、であればなおさら、おまえのやろうとしている寛容とは、自ら寛容を貫こうとする意思にほかならないはずじゃないか。
すると夫、即座に態度を改める。
「おう、どんだけ家のもん壊すんだバカ、謝れ。自分で貼りなおせ」
「そっちでいくのかよ」

つい突っ込んでしまったけれど、夫の回答はわたしには気持ちのいいもので、せいせいした。逆ぎれしておいてせいせいしたもなにもないという気もするが、夫の方でもいくらかせいせいしていたと思う。
わたしたちはなんとなく気をよくして、部屋には無事きれいな白い本棚と、やぶれた障子とが揃った。マスキングテープを貼って直してみたら、「かえって惨めな感じだね」と言われた。前にも同じようなことを言われた記憶があるのは、掃除機のヘッドで網戸をぶち破り、ガムテープでふさいだときだったか。押し入れの中段が本を積みすぎて外れ、手近にあった六角レンチを金具がわりに突き刺して固定したときかもしれない。どんだけ家のもん壊すんだ、バカ。こう並べてみると、夫はすでにかなり寛容である、という気もしてきて、どうも潮目が悪い。
このふしぎな和解を思い出したのは、運営している国語教室の授業中のことだった。授業が終了する五分前。生徒が書きかけの作文を続けあぐね、ぐにゃぐにゃしている。けれどもう授業が終わってしまう、続きはどうするか話さないといけない。わたしの思惑としては、ここで一度持って帰ってひとりで書く、書き上がらないにしてもゆっくり考えてみるのがよかろう、と思っていた。教室で書くことにはかなり慣れてきた生徒で、いまぐにゃぐにゃなっているのも、ちょっと難しいお題を自分で決めたためだ。授業時間のこともあるけれど、それ以上に、それをひとりで仕上げたらどのような出力がなされるのかが見たかった。うまくいかなかったらいかなかったで、また次に来たときにできることが広がると思った。
それで、「どうする? 宿題にしてみましょうか」と声をかけた。
「持って帰ってみて、全然書けん、となったらこのまま持ってきてくれたらいいし……まあ、まあ、どっちでもいいんですけど、なにがいいかね……」
ちょっとずつ尻すぼみになってしまったのは、言うまでもなく頭のなかで、棚板を抱えたわたしが怒り出したからだ。どっちも取ろうとすんな、どっちか諦めろ。そこで猛烈に思い立つ。わたし、夫にえらそうに言っておいて、思い返せば教室ではこんな言い方ばかりしているかもしれない。
「作文の内容、自分で決めてもいいですし、困ったらわたしからお題出してもいいですか?」
「漢字やりたくないんなら今日はやめときますか。なにならできる?」
「じゃあ、せっかくだし時間制限つけてやってみない!?」
なんて、判断を委ねるふうに投げかけている時も、いつも心のなかにはなにか思惑を持っていて、そのためにまず出方を見てみよう、と思っている節がある。それはもちろん、学習を勧めることそれそのものが暴力に転化しないように気を払っているからでもある。しかしそれ以前に、必要以上に寛容らしくふるまおうとしている面があるのかもしれない。わたしもまた、本当は両立しえないふたつを、どっちも取ろうとしているのだろうか。「生徒の自主性を重んじる、寛容な教育者像」と、なんだかよくわからない「正しさ」なるものとを。本来自分の中にはない寛容さを後付けで演じるようにして?
にわかに、自分のこれまでの態度が信用ならなくなってくる。教える立場なのだから、生徒をある方向へ誘導しようとするのも、かつそれを受け入れてもらう手段として寛容なそぶりを(演じて)見せるのも仕方ない、と割り切ってしまえばいいのかもしれないけれど、しかしどうにも自分で納得がいかなかった。生徒も「うーん、わたしもどっちでもいいよ」と煮え切らない。それでかえって急速に腹が決まった。
「いや、ごめん、じゃあはっきりお願いしますね。次回までに書いてきてください」
生徒は、わたしがおおげさに姿勢を立て直したのを見てちょっと笑い、「はーい」と答えて作文を持って帰り、そして、全然書いてこなかった。わたしが恐れたほどの強制感はまるで出ていなかったらしい。結局、その作文は教室で書き上がった。そしてこれも拍子抜けすることに、それは彼女が教室で書いた中で、いちばん力の入った作文になった。前段ではまるでわたしが生徒の行動や考え方をある程度は誘導できるかのように書いてしまったけれど、実際のところ、全くそんなことはないのだ。

寛容にふるまうことを考える。単に心のなかに寛容さを持つということだけでない、他人に対してそのようにふるまうということを。
夫にむかついたとき、反射的に「寛容さとはまず意思であるべきだ」と糾弾したくなったのは、それが単に自己像を取り繕うためのふるまいにすぎないのだという憶測が影にあったからだ。わたしは、自分が他人に対していかに寛容でないかをよくわかっているし、それでいてなお寛容ふうに見せかけてしまうことがあるのにも、同時に覚えがある。だから夫がわたしを口汚く罵ったときには、その本心が明かされたようなのが互いにおかしくて、それで満足した。もしかするともっと底のところでは、それで「見せかけ」のない関係を確かめあえたように感じられて、そのことがなにより気持ちよかったのかもしれない。
けれども作文を読みながら、ふたたび疑う。わたしは———わたしたちは、本当に寛容ではなかったのだろうか?
わたしのめずらしい「命令」に生徒は笑って、作文は書いてこなかった。このことはわたしの未熟を感じさせながら、しかしうれしくも思われた。わたしは生徒に作文を書いてほしいと思っている。より正確に言えば、書き上げた作文を自分で読みかえして「これを書けてよかった」と思う、あの時間に辿りついてほしいと思っている。けれどもそれ以上に、本心ではいやなことを、わたしの命令のために黙ってやらせてしまいたくない。その両者はどちらが見せかけというのでなく、同時にわたしの中で起こっている。それを勘定から外してしまうのは、それはそれでひどく単純化した見方であったかもしれない。「両方取ろうとする」ことをとがめる以前に、まず両方が、どうしようもなく、ある。生徒が平気で宿題をすっぽかしたのは、はなからそれを見抜いていたためかもしれない。

さて、勘違いしないでほしいのは、だから夫もまた寛容であったはずで、わたしの逆ぎれはお門違いである……ということを言いたいわけではない。仮にそうであったとしても、夫の言いようが神経を逆なでするのは変わらない。だいたい、なまじ寛容さが交じっているせいで言い返しづらいのが癇にさわる。
そう、問題は、両者を同時に取ろうとすることそれ自体ではなく、それをいっぺんにやろうとすることだった。相手を責めたり、言うことを聞かせたりするために寛容さを盾にすることには、おそろしい威力がある。しかしそれをおそれるあまり、わたしは自他の中に「寛容さ」をほとんど認めなくなっていたのだった。
こういうのはどうだろう。われわれは他人に対してそんなに寛容でもないけれど、しかし同時にいくらかは寛容である。そしてそれを、寛容であること以外のための道具にはしたくない。であればこそ、ときに寛容さのほうを捨てなくてはいけない。おそらく、他者と生活を分けあったり、ある面で自分よりも弱いものと接したりするときには、とりわけ。自分の寛容でなさとその結果を引き受けてはじめて、ふたたび寛容さへ戻ってくることができるのではないか。

そういえば、前回書いた「夫がテレビを見ながら変な顔をしている」問題にも似ている。そのことを夫に言うか言わないか、言うならどのような言い方をするか……ということで悩み、わたしは言わないことを選んだ、いわば自分の寛容さの方に賭けていたのだったが、しかしエッセイに書いたことでなにもかも夫にばれてしまった。読み終えて、夫がリビングで叫ぶ。
「言ってよ!  俺、自分で知らないうちにそんなへんな顔してたら、いやだよ!」
本当にそうだと思う。わたしだっていやだ。
寛容損である。

 

(次回更新3/26、「13-ああ、また、わたしが間違っていたのだな」)

撮影:クマガイユウヤ

向坂くじら(さきさか・くじら)

2016年、Gt.クマガイユウヤとの詩の朗読とエレキギターのパフォーマンスユニット「Anti-Trench」として活動開始。詩と朗読を担当する。TBSラジオ「アフター6ジャンクション」、谷川俊太郎トリビュートライブ「俊読」など、多数出演。2021 年、Anti-Trenchファーストアルバム「ponto」「s^ipo」二枚同時発売。同年、びーれびしろねこ社賞大賞を受賞。2022年、第一詩集『とても小さな理解のための』(しろねこ社)を刊行。同年、埼玉県桶川市にて「国語教室 ことぱ舎」を創設。慶應義塾大学文学部卒。

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