2022年12月03日 夕方公開終了

向坂くじら(さきさか・くじら)

 もう秋も佳境に入ろうとしているのに磨りガラスの窓越しにギョッとするような青空が見えて、急いで外に出たら、建設中の向かいの家が巨大なブルーシートで覆われているのだった。

 向かいの家は引っ越してきた二年前から空き家だったが、今年の春先に知らない人がタオルをくれに来て、まもなく取り壊しの工事が始まった。ちょうどよくザラザラして、さっと濡れてすぐ乾く、なかなかわたし好みのタオルだった。

 取り壊し工事のあいだ中、向かいにあるわたしの家も工事の振動にあわせて小刻みに揺れつづけた。ちょっとしたときにア〜とため息をつくとアゥアゥア〜とビブラートがかかるくらい揺れていた。工事があるのは日中だけなので、もっぱらひとりでいる時間に、ひとりで揺れる。なによりすばらしいのは昼寝をするときで、布団がずっとぶるぶる振動していると、揺りかごか長距離バスのようによく眠れた。昼間はそんなんよ、海の上みたいでおもしろいわ、と夫にいうと、夫が露骨に嫌そうな顔をして、それは困る、家のなかのネジがぜんぶ緩んでしまう、というようなことをいったので、感心した。わたしなどはただアゥアゥアゥアゥア〜とやっているだけで、そのようなリスクは考えもしなかった。すぐれた思考であることだなあと思いながら翌日も波に揺られて昼寝をした。

 取り壊し工事にはもうひとつすばらしいことがあった。毎朝トラックでやってくる工事の人が、取り壊しながら歌う歌だ。それも知らない言語の歌だった。リモートで仕事をしながら、外から聞こえてくる外国の歌に耳をすますのは、そのうちわたしの楽しみになった。毎日続けば覚えられるかもと思いきや、これがまったくそうはならない。もしかしたら毎日違う歌を歌っているのかもしれない。だとしたら覚えられないことにも合点が行くけれども、耳慣れないメロディすぎてそんなことすらわからない。それでも、その歌はやっぱりよかった。失礼ながらそこまでうまい歌でもないけれど、誰に聞かせるでもなく歌う声が心地いい。心なしか、取り壊しのドカだかバキだかいう音にリズムが合っているのもよかった。

 

 はじめ、剥き出しのまま家具を運び出され、板を外され、みるみる抜け殻のようになっていった家は、ある日シートで隠されてしまった。そのときはブルーシートではなく、白いシートだった。いよいよ家そのものが形をなくしていくフェイズに入ったようだった。このあいだまであった家が、シートの向こうがわで消えてなくなっていく。最初のうちは取り壊すようすも丸見えだったのに、いざ本格的に消えていくとなったら見えないように隠してしまうらしい。理由はわからないけれども、安全上のことなのか、作業を進める上でのことなのか、とにかくなにかしらあるのだろう。しかし、わずかにあいた白いシートの隙間から見える瓦礫や、柱の残骸のようなものや、土煙は、なにか残酷なものを連想させた。たとえば、毛皮や、内臓や、骨というような。やがて思う。安全や効率より前に、なにかが失われていくさまは、とてもおそろしくて見ていられないのではないか。だからわざわざ隠しているのではないか。

 家の揺れはひどくなった。さすがのわたしもかすかに酔うようになり、夫はネジというネジを締めなおした。もはや何人いるのかもわからないシートの奥からも、歌声は聞こえつづけた。

 

 昨年の夏、夫のおばあちゃんが亡くなった。わたしがはじめて会ったのは結婚前、お盆のお墓参りに行ったときだった。真夏の墓苑を向こうからゆっくり歩いてきた夫のおばあちゃんは補聴器をつけていて、わたしが一生懸命大きな声で挨拶をしたのが、聞こえていたのかどうかわからない。けれどもこちらを見上げてニコーッと笑い、こう言った。

「こんにちは。おばあちゃんでーす」

 それで、わたしはいっぺんに彼女のことが大好きになってしまった。夫から聞くおばあちゃんの話もみんな好きだった。お寿司屋さんにいくと、食べんさい、食べんさいと言って大きな寿司ばかり孫たちに取ってくれる。補聴器をつけているのはいいのだが、なんだかめんどうな話にかぎって聞こえが悪くなる気がするとか。夫が小さいときには、かぼちゃを溶けるほど煮込んだ味噌汁を作ってくれた。もっと前には、彼女の生きた世代には驚くべきことに、「女性こそ一生働ける仕事を身につけなければ」というのが決まり文句で、三人の娘たちを教師と薬剤師に育て上げた。どんな話もやさしくて、したたかで、思い出話の中でかわいがられている小さな夫もまたおかしく、聞いているとうれしい気持ちになった。

 夫のおばあちゃんには、それから何度かしか会えなかった。お葬式のあいだ、慣れない仏教式だったこともあってずっと緊張のさなかで、悲しいんだかなんなんだかわからなかった。訃報を受けてすぐに駆けつけた老人ホームで見た姿と、棺のなかにいる姿とのあいだには、どちらも亡くなったあとであるにもかかわらず、深い渠が横たわっているように思えた。そう、そのときも似たようなことを考えていた———いきなり形がなくなってしまうことはとてもおそろしいから、このように段階を踏むんだな。それが、この姿からきちんと伝わってくるんだな———冷静に考えていたつもりだったが、火葬を待って夫とふたり葬儀場のベンチに座っていたら、急に涙があふれてきた。なくなってしまうということは、なんてむずかしく、おそろしいんだろう。こんなにていねいに受け入れようとしてなお、おそろしくて、悲しい。あったはずの形がどこにもなくなって、そして二度と戻ってこないというのは、つまりどういうことなんだろう。一度泣いたら止まらなくなってしまい、義理の親戚にはふさわしくないほど泣きつづけていたら、わたしよりずっと悲しいはずの夫が、小さな声で「ありがとうね」と言った。

 

 白いシートが取り払われて、あとには青空だけが残った。家が底面だけになり、はじめて向こうにある空が見えたのだった。あるときお昼ご飯を食べに出たら、その底面に男の人が腰かけて、歌いながらコーヒーを飲んでいた。知らない言語の、馴染みのないメロディだった。素人のわたしでも、工事があと数日で終わることはなんとなくわかっていた。

「こんにちは」

 思いきって話しかけたけれども、やはり日本語はあまり通じないようだった。向かいの家の者であることをどうにか説明し、前に読んだ「やさしい日本語」(外国人にもわかりやすいように簡単に直した日本語)のガイドラインを必死で思い出しながら、どうしても聞きたかったことを訊ねてみる。

「あなたは、歌を歌っていましたか?」

「はい」

「わたしは、その歌の、名前を、知りたいです」

「名前は、ズンです」

「ズンという歌ですか?」

「はい、僕は、ズンです」

「あっ、わたしは、くじらです……」

 それからお互いの身ぶり手ぶりも交えてなんとか聞き取ったところによれば、どの歌のことを言っているかわからないけれども、だいたいはベトナムでいま流行っている歌である、ということだった。やはり一曲ではなかったらしい。お礼を言って、家に帰ってからSpotifyでベトナムのヒットチャートを再生してみたけれど、聞き覚えのある曲は一曲もなかった。翌日泊まりがけの用事に出かけて、帰ってきたら工事はすっかり終わっていた。しばらく、元から家なんて建っていなかったかのように空き地だったけれど、また突然知らない人がタオルをくれて、建設工事がはじまった。それも悪くないタオルだった。

 

 いま、向かいの家にはブルーシートがかかっている。わかっていてもときどき、たとえば障子に空いた穴がぴかっと青かったりすると、つい快晴かどうか確認してしまう。建設工事はそこまで揺れない。ときどき話す声がするけれども、だれも歌わない。

 この秋はずっと曇りである。

※登場する人物名は仮名です。

(次回更新12/3、「おおむね、ね(笑)」)

 

撮影:クマガイユウヤ

向坂くじら(さきさか・くじら)

2016年、Gt.クマガイユウヤとの詩の朗読とエレキギターのパフォーマンスユニット「Anti-Trench」として活動開始。詩と朗読を担当する。TBSラジオ「アフター6ジャンクション」、谷川俊太郎トリビュートライブ「俊読」など、多数出演。2021 年、Anti-Trenchファーストアルバム「ponto」「s^ipo」二枚同時発売。同年、びーれびしろねこ社賞大賞を受賞。2022年、第一詩集『とても小さな理解のための』(しろねこ社)を刊行。同年、埼玉県桶川市にて「国語教室 ことぱ舎」を創設。慶應義塾大学文学部卒。